デフレの正体への反論 | ラヴログ

デフレの正体への反論

デフレの正体で主張されたメインテーマ、人口の波が経済を動かす。

著者への反論があることは知っていましたが、読んでいないのでスルーしていました。
ですが、読んでみるとそれ以外にもいろいろと突っ込みどころがあったので、このようなエントリを書くきっかにもなりました。


lablog

政府統計より筆者作成


lablog

政府統計より筆者作成

将来はあくまで予測ですが、人口は著者の書くようになっているのが事実ではあります。




デフレの正体というか、前半の国際競争の勝者・日本の章が、国際競争に勝者とかあるのかというのは別にして、普段から日本に対して悲観的であろう多くの日本人にベストセラーだというこの本が読まれることで、そういう悲観的な部分が少しでも払拭されたら良いと感じた。



1、貿易について

P31

今がピンチだというなら、0二年までの日本はもっとピンチであったというのでしょうか


と、輸出が激減した最近と、過去の輸出額を絶対数で比較して言及していますが、こういうときこそ著者の批判する率での比較でなければそのダメージは計れないと思います。

たとえば、給与が10万円だったのが10年で2倍の20万円になったとします。
それが不況で3割減の14万円になったとしたら、その生活レベル(経済規模)が20万円の状態で、

10年前に比べたら4万円もまだ多い、それでピンチなの?

という問いは成立するのでしょうか?

更にブランドをということを主張していますが、

それ自体は10年以上も前から高付加価値という目標が製造現場では言われていて、何ら目新しいことではないのですがそういう仕事というのはそもそも絶対量が少ない。

つまり、日本人全体がそういう高級品ばかり作っても需要がなければそれだけで良い、ということにはならないのです。(ということを本人自身が、後半部で書いています)


2、車について


(P54から引用)

大都市圏の中心近くに住んでいるごく一部を除いた日本人のほとんどは、車は嗜好品ではなく必需品です。

飽きたから買わないというものではない。

ないと生活できないのだから、興味ないから安いのですませておこうという人は増えているかもしれませんが、そういうのは単価減少→売上高の減少の理由になっても、販売台数減少の理由にはなりますまい。

ましてや〇六年あたりの「好景気」の最中においてすら、売上げだけではなく台数までも減ってしまうという理由として、「車離れ」では説得力がない。



P54

車は嗜好品ではなくて必需品です。飽きたから買わないというものではない。



車が必要なのだから買わないはずが無いと受け取れます。


P54

興味が無いから安いので済ませておこうという人は増えているかもしれませんが、そういうのは単価減少→売上高の減少にはなっても、販売台数減少の理由にはなりますまい。



その必需品なはずの車を、安い車で済ませるというのなら、売り上げが減るなら分かると書いています。
販売台数は変わらないはず、

だけど減っている。

と主張しています。


P54

何か経済的に見て構造的な理由がなければ、こういう長期的トレンドは出てこないのです。




筆者の主張は生産年齢人口の減少という構造の変化が最初から前提にあるため、人口的に需要があるのなら新車が売れないはずはないという切り口なのでしょう。

つまり、車は嗜好品ではなく必需品だという前提です。

なので、車離れが販売台数減少の理由にはならないと主張しているのですが・・・


lablog


保有台数は鈍化しつつも微増。
ということは車の販売は増えていなければおかしいですね。

では、何故新車売台数が減少してるかといえば、新車を長く乗る人が増えたこともあります。

lablog


あとは、中古車の存在を忘れてはいませんでしょうか?
車を買う人はすべて新車でという前提になっていませんか。


(P215)

たとえば自動車産業。全体的には不振の中、よく売れているのがハイブリッドカーで、(中略)
これらの成功は、すでに何でも持っている高齢者に買い替えの「言い訳」を与えることがいかに重要かを示しています。


ですから、筆者も主張するように言い訳を与えれば、高齢者でも財布の紐も緩むのです。
とプリウスの売れる理由もあげているのに・・・政府がお金をばらまいても(エコカー減税とは言っていませんが)

(P184から引用)

車は生産年齢人口減少という制約がかかってくるので(もう車を十分持っている人は車ではなく他の人気商品を買うので)やっぱり車そうそう売れないのです



としている。


保有台数が微増の現在では、新車の需要はあることから存在需要を引き起こしたと考えます。
需要はあるのです。




3、住宅について



住宅もです。

lablog


世帯数は増加しています。
独身者が増えているのだと思います。あとは結婚して家を出るなど。
住宅の需要はありそうです。

一戸建てではなく、コンパクトな分譲マンションの建設と販売や賃貸(高額な家賃の取れる付加価値の高い物件など)物件の建設など。

データないですが、独身女性がマンションを購入するという記事も読んだことがあります。
マンションは、土地代はGDPに含まないので土地の価格が高い日本では、ほぼローンも住宅代として支払うことで経済効果があると思われます。

では何故住宅は売れないのでしょうか。(売れていないという前提で、データは持っていませんが)
これもやはり人口だけが原因では無いのでは?

考えると、投資減少によるマネーサプライ減少が加わり、お金が回らない理由になっていると思われます。
この負のサイクルやバブル崩壊後の負債に対するアレルギーも加わり、借金してモノを買うことに抵抗があることや、生活様式の変化などもあるでしょう。




4、GDPについて

(P168)

…消費者人口の減少→供給能力過剰→在庫積み上がりと価格競争激化→在庫の時価の低下(在庫が腐る)という現象です。(中略)腐った在庫は最終的には叩き売られて企業収益を下げています。



在庫に関して僕からは製造現場に携わる立場として意見させてもらいますと、在庫を積み上げて安値で処分ということは製造現場ではほとんどありません。

なぜなら、在庫が増加したら必ず生産調整をするからです。


P169

売れようが売れまいが在庫を積み増しながら生産を続ければ、GDPは増え続けるわけです。


在庫分に関してGDPに加わりという内容も書かれていますが、それは次年度のGDPで生産調整の結果、製造数の減少からその分は必ず縮小するはずです。
なので、上記の引用のような減少はGDPに影響するほどの規模では起こりません。

GDPが中古や骨董などの美術品の取引を含まないことも加味すると、需要のありそうな新築住宅や新築マンションの建設と販売、車の需要を新車の販売に向けるなどGDPを成長させる手法はありそうとも言えますね。




5、消費について

ところで、高齢者は本当に消費しないのでしょうか?


P135

  「昔ほど車を買わない、そもそも以前ほどモノを買わない、最近余り本や雑誌を読まない、モノを送らなくなったし車にも乗っていない、近頃あまり肉や脂を食 べないし酒量も減った、水も昔ほど使っていない」ということです。これは正に退職後の高齢者世帯の消費行動そのものではありませんか。



と著者は高齢者が消費しないという主張を繰り返します。
しかし、平成22年 経済白書では


第一に、60歳以上の高齢者世帯による個人消費の押上げ寄与は非常に大きい。


すなわち、2003年以降、おおむね一貫して60 歳以上世帯が個人消費にプラスの寄与をしており、かつ、個人消費に対するプラス寄与のほとんどはこの世代による。

例外はリーマンショック後の急激な消費の落ち込みのときだが、そのときもマイナス寄与は小さかった。

2009年後半以降の個人消費の持ち直しも高齢者がけん引している。


実際には35~59 歳世帯の減少が消費押下げに働くが、高齢者世帯の増加が一世帯当たりの消費押下げにつながるとは限らない点に注意が必要である。



消費の中心はすでの高齢者?

そして、消費支出の推移を見ても・・・

lablog

(名目)
内閣府の国民経済計算確報より筆者作成

日本はモノが売れないというイメージと少し違うようです。

(名目)
内閣府の国民経済計算確報より筆者作成

P67

「モ ノは売れていないが、サービスの売上はどんどん伸びている」というような事態が起きているのでしょうか。旅行産業を見ても外食産業を見ても、残念ながら まったくそんなことはありません。それにそもそも「日本はモノづくりの国」でありまして、国内でモノが売れないところへ輸出(=外国へのモノの売上)まで 急落して皆さんが困っているのです。


旅行産業や外食産業だけがサービス業ではないです。

事実、筆者の指摘とは逆にサービス業は増加しています。

lablog


サービスは増加していると書きましたが、では何のサービスが?


lablog

その前に、何が売れなくなっているのでしょうか?

被服と履物・・・ファッション関係のようです。
食品関係やアルコールやタバコなども多少減少傾向のようです。

これは藻谷氏の例に取り上げられた、まさに小売の実態と一致します。
ですが、藻谷氏は意図的にかサービスを旅行産業と外食産業の例だけしか取り上げません。

旅行産業を見ても外食産業を見ても、残念ながらまったくそんなことはありません。



ところが、その例に挙げた旅行産業と外食産業をこのグラフで見ても横這いか微増で推移してきており、それほどひどい状況でも無いとは思いませんか?

デフレの正体の冒頭で書かれていた、思い込みの殻にヒビを入れてみようという藻谷氏のいう事実は、殻を割ってみたら思い込みでも何でもなく、思ったとおりだったということに・・・。


lablog


ここ10年で見比べても、娯楽・レジャー・文化(その詳細は調べていませんが)は倍増しています。
更に住居・電気・ガス・水道も・・・。
他の項目以上にこの2つは金額的に伸びています。


lablog

水道使用量は最近では減少していますが、97年がピークというか横這いでは?

水道だけで使用量が減っている、それは人口の減少のせい、とする指摘とも違います。
人口減が理由なら、他の光熱費が増加している説明ができません。

データで事実をと書きながら、ところどころでそれを省いたりデータの確認もしないのはページや構成の都合もあるのでしょうけれども、それではやはり説得力に欠けます。



果たして、SYはどちらなのでしょうか?


藻谷氏は消費活動時間の不足による制約も主張します。

労働時間が長くなると、消費時間は減ります。
しかし、通販は買い物時間の節約を可能にする代表的な例でしょう。
確かに高価なヨットや車に乗って・・・という時間は余暇がなければできません。

ところで実際に労働時間は過去に比べて長時間化してるのでしょうか?


lablog



主な産業別平均週間就業時間及び延週間就業時間数のグラフで推移を見ても、労働時間は減少傾向です。
実感としては、そんなことは無いという反論もあるとは思います。特に残業の付かない課長職以上の方などの数値はおそらく入っていないでしょうし。

ですが、全体的な傾向程度は分かるでしょう。
業種により、多少の増減の違いはあるものの、労働時間は減少傾向です。
これは、よくよく考えてみれば過去には週休2日もありませんでした。



lablog


月間でみても減少傾向。


lablog

年間の労働時間を見てもアメリカより下回っている状態。

では、増えた余暇に何をしているのかというと、


lablog

付き合いやテレビを見る時間を減らし、趣味や買い物などそれこそ睡眠時間を減らして余暇を過ごしているようです。




6、経済学への批判について


P90

「こいつは片隅の事実を誇張して自説を強引に正当化している」と決め付ける前に、同じ数字をネットで確認いただいて・・・



P12

お話しするのは事実だけで、何かの方向に皆様を誘導する意図はありません




本当でしょうか?



ところで、著者はマクロ経済学に否定的です。
ですが、言葉の定義や前提が曖昧なままです。
なので、意味を取り違えた指摘が多くなります。



キーワード1「投資」

P165「内需がなければ国内投資が腐る」

ところがさらに開き直った第三の反論として、「高齢者の貯蓄大いに結構」という考え方もありうるのです。
マ クロ経済学では、貯蓄は投資の源泉です。高齢者が死ぬまで貯蓄を抱え続けても、よしんばそれが株価下落や為替変動で目減りしたとしても、貯蓄は債権、株券 などの購入を通じて投資側に回るので、その投資を受けて経済は拡大する。だから問題はないではないか・・・・・というわけですね。



と書いています。

高齢者の貯蓄とマクロ経済学での貯蓄は意味が違います。

これは堂免氏も書きましたが、

投資→貯蓄について

貯蓄→投資は、投資資金集めを意味してると思われますが、貯蓄はその年のフローの中で蓄積されるお金で、まだ使われていないお金すべてのことです。

預金はストックのことです。

フロー上では、貯蓄=投資ですが、ストックは一部しか投資に回せないので預金の一部としてという表現である。


ということを理解していないのではないか?
と思われます。

なので、高齢者の貯蓄という表現が出てくるのでしょう。



P167


もうお分かりかと思いますが、投資があれば経済は拡大するというマクロ経済の定式?は、この「投資が腐る」という、市場経済の現場では当たり前に起きている現象を勘案していないのです。



この表現にも違和感があります。

貯蓄=投資+財政赤字+貿易黒字

マクロ経済の定式とはこれのことを指していると思いますが、この意味を理解していないのではないか?(いえ、自分もそんなに理解していないので偉そうに言えないんですけどね・・・)


ここでいう貯蓄とは高齢者の預金などではなく、その年の消費、納税に回らなかったすべてのお金を指します。
そして、企業への投資、政府などの公債、海外への投資などに振り向けられることになります。

つまり、貯蓄から企業が投資して余った金額は、財政赤字と貿易黒字を合わせた金額と言うことです。

貯蓄=投資+財政赤字+貿易黒字

政府の赤字が何故か突然均衡したとします。

貯蓄=投資+貿易黒字

となります。
貿易黒字も国内資本の流出という側面もあるので、国内が好景気で投資が盛んであるならば均衡もしくは赤字でしょう。
なので、

貯蓄=投資


となりました。

つまり、国債の是非は別として、結果的に経済全体では国家のバランシートは拡大中なことからも投資が経済を拡大させているのです。


市場経済の現場では当たり前に起きている現象を勘案していないのです。



現場というミクロではなく、マクロという全体を見れば勘案していないのでもなく、結果はそうなっている、ということでしょう。







キーワード2「内需」



内需の不振についても、小売だけをみて全体を見ません。
それで、何かの方向にとか、片隅の事実を誇張して自説を強引に正当化してないと断言しています。

内需(ないじゅ)
内需とは、国内の需要のこと。個人消費、民間の住宅購入、民間企業の設備投資、民間企業の在庫増加などで構成する民間需要と、政府の最終消費支出、公的固定資本形成、公的在庫の増加から構成する公的需要がある。


All Aboutより

上の引用のようにそもそも内需とは、小売だけではありません。


lablog

このグラフを見ると、内需不振の原因が見えてきます。
著者の指摘どおりに小売が伸びれば内需は拡大でしょうけれども、消費自体は増加傾向でした。

では、内需の不振はどうして?
それ以外が・・・ということがが考えられます。

著者は、このように自説を正当化するために都合のいい数字(小売販売額減少)と単語(内需)を使っています。

更に生産年齢人口の減少を、小売の縮小と関連付けて説明しています。
青森県を例に挙げ、県民所得は個人所得とはまったく違う動きと説明。

ところでこの税務署由来の個人所得の代わりに、家計調査などの各サンプル調査を使うのはまだいいのですが、「県民所得」といった、名前は「所得」ですが個人所得とはまったく違う動きをするマクロ指標を使いたがる人がいます。
しかし、県民所得というのはたとえば、県内の近代化された工場が県外から機械設備を買ってきて、雇用を増やさないままフル操業して出荷額を増やすだけで、ポンと跳ね上がります。



ですが青森では特に違和感の無い動きをしています。

lablog


指数にすると、青森の県民所得の方が個人所得より増加は少ない。(90年を100として、一番増加した96年でも10ポイント程度の増加でしかありません)
これについて説明しないで、他県の逆の状況での批判では説得力に欠けます。

その上で、どうして青森の所得が上がったかというと、

lablog

青森県の経済報告より

も、あります。

補足で、その後に何故所得が低下したかも・・・

lablog

筆者は経済の循環やGDPで景気は語れないと批判しています。
ですが、失われた10年で元気の良かった理由は公共工事では説明できないとしながら、青森県自身はそうであったという分析をしています。
GDPでも上のグラフの赤丸部分、98年以降の成長率の低下による、販売不振が説明できます。






キーワード3「生産性」




生産性

生産性(せいさんせい:productivity)とは、経済学で、生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度のこと。あるいは資源から付加価値を生み出す際の効率の程度のこと。

一定の資源からどれだけ多くの付加価値を生み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で生み出せるかという測定法がある。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生産性の種類

1 資本生産性
2 労働生産性
3 全要素生産性
4 国民経済生産性

の4種類もあるのに生産性=労働生産性として読者に生産性向上の定義確認をしていない・・・思い込みだと決めつける。

資本生産性

これは、資本(機械・貨物自動車等の設備)1単位に対してどれだけ価値が生めたかを指す。通常、資本が遊ばないようになるだけ多く労働者を充てると、資本の回転率が上昇し資本生産性が高まる。ただ、この場合は労働生産性が低下する。



他の生産性という言葉を意図的にかは分かりませんが隠し、生産性向上が付加価値にはつながらないと主張します。





7、まとめ




P90

「こいつは片隅の事実を誇張して自説を強引に正当化している」と決め付ける前に、同じ数字をネットで確認いただいて・・・



P12

お話しするのは事実だけで、何かの方向に皆様を誘導する意図はありません



と断言する喪谷氏ですが、


P18

・・・学術用語で言えば「演繹」だけで「帰納」できないわけです。


と、経済論も否定します。

ウィキによると

帰納法の欠点

確証性の原理をとるにせよ、斉一性の原理をとるにせよ、帰納法で仮説を正当化する企ては、なんらかの壁にぶつかるのである。

特によくあるのは、早すぎる一般化である。帰納法が間違う有名な例として、"「ビールには水が入っている」、「ウィスキーにも水が入っている」、「ブランデーにも水が入っている」、よって「水を飲むと酔っ払う」" というものがある。




帰納法の欠点は、全事例を網羅するか、それと同等の論理証明をしない限り、帰納した結論(帰結)は必ずしも確実な真理ではなく、ある程度の確率を持ったものに過ぎないことです。(故に帰納法は帰納的推理ともいいます)

http://www.abysshr.com/mdklg010.htmlより

この著書が経済の全事例を網羅していない点と、著者が事実だとして帰納したという論ですが、前半部分に最も突っ込みどころがある時点で主張に無理があることは明らかです。

そして、マクロ経済学への批判なども。

これらのことからデフレの正体が、生産年齢人口減少だけでは説明できないと言えそうです。

需要はあるけど、買わないという需要減が供給力はあるけれど作らないという供給過剰や貨幣の需要増と供給不足などデフレの原因は他にもあると考えます。

あと著者は、マクロ経済や経済学を著書の中でたびたび批判しますが、果たして経済学、特にマクロ経済について熟知したうえでの批判でしょうか?

少なくとも、木下氏「経済学はなぜ間違い続けるのか」や堂免氏の「経済学の大間違い」はケインズやマクロ経済について勉強したうえでの検証でした。

著者が自説を出版することになんら異論はありませんが、ベストセラーであるこの本が経済学を否定するような風潮、高齢者との世代間対立を産みかねないかを危惧しています。(逆に高齢者が若者を批判するなど)


マクロ経済を批判するなら、もっと勉強するべきですし(僕が勉強していて、著者がしていないという意味ではないです、念のため)むしろ、この本は素直にご自身の得意分野や生産年齢人口減少のデータの説明に徹して、後半の意見、提言にページを費やした方が良かったと考えます。