今日は、ちょっと戦国武将がブームであると聞くので、たまにはそういった記事も書きたいなと思い、インターネットのヤホーで調べていましたら、とてもすばらしい武将がいたんですよ
立花道雪(たちばなどうせつ)知っていますか?
ちょっと道雪について調べてきたんで、書かせていただきたいと思うんですけど…
立花道雪は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、豊後の戦国大名大友氏の家臣で、永正10年(1513年)3月17日、大友家の一族である豊後鎧岳城主の戸次親家(べっき ちかいえ)の子として生まれる。幼くして母を失い、父も病床にあったために代わりに継母(父の後妻で臼杵鑑速の姉)によって育てられた。大永6年(1526年)に父の死にともない、元服して戸次氏の家督を相続した。家督相続後は大友義鑑(おおともよしあき)に仕え、天正13年(1585年)、筑後国猫尾城攻めの最中に高良山の陣中にて病を得て9月11日、病死した。享年73だそうです(wikiより引用)
略歴はこれぐらいにして、私がなぜこの道雪を取り上げたのかというと、戦の采配にも長けていたようですが、それ以上に家臣の教育にも長けていたと言われていて、その逸話が気になったからなんです(≧▽≦)
たとえば、道雪が常日頃から言っていた言葉で…
「武士であるかぎり、弱い者はいない。もし弱いと言われるなら、その者のせいではなく大将の養いようが悪いのである。わしの家臣では士分はもちろん、雑兵、下郎にいたるまで、数度の功名を立てていない者はいない。もし他家でおくれ者の評判がある者がいたら、わしの家に仕えるとよい。必ず逸物にしてやる。」
すごいですねΣ(・ω・ノ)ノ!
でも、中にはなかなか武功を立てられない人も当然いたと思うんですが、そういった部下には…
「そなたが弱い者でないことは、我が見定めている。武士には運不運がある。そなたはまだ運が向いてこぬのだ。あせって抜駆けし討死するようなことはあってはならんぞ。それこそ、わしに対して不忠である。必ず身を大事にして、わしを助けてくれよ。」
と慰め、酒を飲ませ、はやりの武具などを与えたりしていたそうです
ちなみに、その人は次の戦で人に遅れないように働いたそうです(-^□^-)
でも、これだけなら自分としてはへぇーとしか思わないんですが、激励するだけでなくしっかりと罰するところは罰するという、とてつもない厳しさをも兼ね備えた人物である点に強く惹かれました
その道雪の厳しさを物語るエピソードとして…
ある正月の戦で、年越しなので戦闘が無いと思った三十五人の兵が、一時国へ帰ってしまいました。道雪は激怒し、
「けしからん者共だ。在所まで追いかけ切り捨てて参れ。親のある者は親子ともども成敗しろ。」
と命じます。
「親まで成敗とは如何」
と家臣が諌言すると、
「戦さ場を逃げ出した子に、のうのうと対面する親も同罪じゃ。容赦するな。」
と親子ともに誅したとのことです。
確かに厳しすぎるようにも思いますが、、「生きるか死ぬか」「殺すか殺されるか」というのが日常の時代であることを考えれば、これぐらい厳しくしていかなければ自分たちが死んでしまうのです
部下に対しては、温かさをもって励まし、その可能性を信じきる強さと自他ともに対する厳しさを兼ね備えたこの立花道雪という武将は実は現代になくてはならないリーダー像というものを示してくれているのではないかなと感じてしまいます
周りにやさしい人というのは結構いるんですが、他人に対してしっかりと意見してくれる厳しさを持った人というのが少ないなと思うとともに、自分も人に嫌われたくないという心理が働きなかなか厳しくできない自分がいるなと考えてしまった
他人に厳しくするには、当然自分に対しても厳しくできていないといけないわけで、そう考えるとまずは自分を律する強さを持っていこうと考えた今日この頃です
では、今日の気になる一言を…
『たとえ折檻を受けても、主人の過ちをただすのが臣たる者のつとめである。わが身をおそれて、自分さえよければ、他人はどうでもよいというのは卑怯である。自分の命は露ほども惜しくはない。それより主人が、世間の外聞を失うことが無念である。』
by 立花道雪 「立花道雪覚書」