飲み会などで「飲めそうなのに!」というご意見をよく聞きます。いや昔はよく飲んだんですよ。でも、飲まないほうが調子がいいので飲まないことにしてるだけなんです。経緯は話すと長くなるし飲み会で話しても全然面白くないのでブログに書いておこうかと思います。
そもそもの発端は5年前の名古屋から。
以下当時のmixi日記より
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胸が苦しくなる事が何回かあり、病院に行くまでのいきさつは前回に日記に記した。
つづきを
8月24日(火)暑い
会社を休み、昨日中日病院から紹介状を書いていただいた名古屋ハートセンターへ朝一番で行く。
大きな総合病院ではないので順番待ちも少なくすぐ診てもらえた。
問診~血圧~採血~心電図~レントゲン~エコー午前中でほとんど終了。
結論は即入院。
何の準備もしていなかったので、荷物を取りに一旦帰ってもいいかと訊くと「外で倒れると9割以上が死に至る。病院内であれば9割以上が助かっている。」と言う事でやんわり断られた。
入院の際の注意事項等を聞いて、ランチはもう病室のベッドで食べる事となった。
食事についてのリクエストを聞いてもらえるので肉抜きのメニューを用意してもらえるらしい。
これからしばらく腕に針が刺さりっぱなしになり、点滴が血管に注がれ続ける。
夜、妻が病院へ。一人で新幹線に乗った事等ないので一本乗りそびれたらしい...。
主治医の鈴木先生から説明を受ける。
心電図や血液等からの予測では3本ある冠状動脈のうち1本が詰まっていると思われる。それを確かめる為にカテーテルで造影剤を送り込み確認して、その場で治せそうなら風船で膨らましステントを挿入します。との事だった。
わしの父親も約40年前に同じ病気をして大きな手術をした。当時はカテーテルもステントもなかった。
父親がその病気に振り回された人生を送ったのでわし的にも結構気は遣っていた。
血圧も高くないし、血液の分析でコレステロールも多くない、糖尿の心配もない。それなのになぜ狭心症になるのかと訊ねたところ、「そう言う人もいる。遺伝子レベルの話なのではないか....。」と言う事だった。
あらかじめプログラミングされていた病気なんだろうか。
とにかく、急がないといけない状態だそうでさっそく明日カテーテルを挿入する運びとなった。
病室はとても奇麗で看護士さんたちもとても親切で可愛い人が多くとても快適な入院初日だったが、なんだか熟睡出来ず夜中に何度も目が覚めた。
8月25日 晴れてる
8月も末になるのに連日の猛暑が続いているそうだ。院内は快適にエアコンディショニングされているので実感はわかないが、窓の外の日差しはかなり強そうだ。
いよいよ今日昼前後からカテーテルを挿す。
お昼前にお呼びがかかり車椅子に乗せられ、アイアンサイド気分で手術室へ。
ハイテク機器が並ぶ手術室の幅の狭いベッドに横たわり素っ裸にされる。可愛いナースが慣れた手つきで溲瓶へのセッティングをしてくれた。
痛み止めを打たれ、さっそくカテーテルが脚の付け根から入ってくる。
勝手に麻酔を施され意識朦朧の中でいつの間にか手術は行われるのだろうと思っていたが、そうではなくドクターと会話しながら手術は進む。
造影剤が入りモニターに心臓の動きと同期する血管が映し出されている。
予想通り、詰まっている血管は一本だけだったのでこのまま治療に入ります、とのこと。
「治療用のカテーテルと取り替えるので少々痛みますよ」
「はい。・・・・イテテテ!」
みたいな会話をしつつドクター用のモニターを寝ながら覗き込む。
しかし、手はシーツの片隅をずっと握りしめていた。
「はい終わりましたよ。カテーテルを抜きますね。」
「ありがとうございます。」
カテーテルを刺していた右足はこれから数時間動かしてはいけないという事でベッドに移され、そのままナースステーションの隣の病室へ。
写る景色は「ベンケーシー」のオープニングそのままだった。
ふっ古い!
手術よりもその後の方がきついと言われていたが、なるほどその通りだった。
熱が出てだるい上に脚を固定され動かせないので一晩中寝たり起きたりという感じだった。
つづく...