今の場所に家を建てたのが昭和の最後の年だったから、もう四半世紀が経った。日本の家屋の平均寿命は26年と聞いた事がある。なるほどうちの近所も改装や立て直しをする家が目立つ。
うちは子供がいないせいかそれほどへたってはおらずたぶんわし等が死ぬまでこの家は保ってくれると思う。東葛大震災が起きなければの話。
この家に子供は暮らしてはいないが四半世紀のほとんどでそして今も犬が暮らしている。幸いうちの子達はいい子が多いので部屋を荒らしたりそこら中を噛み砕くというような事はなかった。
最初は近所を迷っていた柴犬のキキ。
犬など飼った事がないので小さいから子犬かと思っていたがもう13歳になる老犬だった。彼女の実家は近所のブリーダーだった。うちに慣れた頃に判明したのでそのままうちで晩年を過ごし1年程で旅立った。アイルトンセナと同じ命日だった。
翌年にはモモが加わり、今最後に残っているのがモモの子供ミニ。
ジェイは可哀想に真夏の暑い日に日射病で亡くしてしまった。まだ4歳だった。モモは14歳の誕生日を目前に旅立った。
うちの犬たちには14歳は大きなハードルだったが、最後の一匹ミニは14歳の誕生日を軽く突破した。今年の5月には15歳になる。
4thダウン残り1ヤードをダイブして更新するのではなく、軽々と走り抜けさらに20ヤードをゲインし、もう少しでタッチダウンって感じだろうか。
ミニは10歳過ぎまで母犬のモモと一緒だった。何をするにも2番目のミニ。婆ちゃんのレイの生前もモモと母子2人になっても誰かの顔を伺って行動する癖がついた。
モモが亡くなってタガが外れるかと思ったけど長年の癖は抜け切らず誰かがいいよと言わなくては何もせず、わがままを言うようなことは決してなかった。
しかし、14歳を越えた頃から様子が変わって来た。散歩に行ってもこっちには行きたくないこっちがいいとか、ご飯はこれはいらなくてこっちをもっとくれとか色んなわがままを言うようになって来た。
特に散歩は顕著でせいぜい一回30~40分だったのが最近は1時間は当たり前、すごいときは2時間も歩き回る。それを1日2回だ。
2時間も歩けばさぞや遠くへ行くだろうと思われるだろうが、歩く場所はせいぜい家から半径1km以内。その小さなエリアを行ったり来たり、お気に入りの場所は1回の散歩で5回以上も散策する。
はじめはボケてるんじゃないかと思ったけどそうでもないらしい。
では、どこか行きたい場所があるのかとも思うがそうでもない。
勝手に彼女の女心を推測すると今を生きているのだ。
そうつい5分前に訪れた場所でも彼女にとっては今初めての場所なのだ。どこか行きたい場所があるのではなくこの曲がり角を右に曲がりたいだけ。
曲がり角の先に在る公園はこの際どうでもいいのだ。右に曲がった直後にUターンしたって構わない。
また同じような場所をテクテク歩いて同じ曲がり角に来ると同じ方向に曲がりたがる。これはきっとミニの思考の癖なんだろう。
ミニとの散歩は日課の一つだがもう一つの日課のヨガアーサナの練習時間よりよっぽど長い。アーサナ練習は短いときは20分ぐらい、時には0分のときもある。
しかし、こうしてチャクラの開いた老犬と一緒に歩く事はマットに立つより多くの事を気づかせてくれたりもする。
気づくとミニとの散歩中はかなり深い呼吸をしている。
ミニはいつまで生きてくれるかわからないけど、わし等夫婦は犬を飼うのは彼女で最後にしようと思っている。
しばらくはお散歩プラクティスは続くだろう。