お別れのお手紙をいただいてから
(もちろんPCでの代筆ですが)

本当に間もなく、
ご逝去を知ることとなり、驚きました。

翌日、新聞に掲載され
広く知られる事となったかと思います。


一日でも長生きなさってくださいと

祈ったりしないで欲しいということが

先生のお望みでしたので、

先生の旅立ちが穏やかであられるよう

それだけを祈っておりました。



先生がお亡くなりになった翌日、

日本人がもっと英語が話せるようにと

手弁当で日本各地へ出向いて講演されている

小熊弥生さんの英語維新に参加しました。


鈴木先生は、

政治、外交に関わる人は英語を極める必要があるが

その必要のない日本人は、英語なんて学ばなくていいとおっしゃっていました。


後進国だった日本が、外国学んでいた時代は終わり、

むしろ、日本に来た外国人に、

堂々と日本語を教えてあげたほうがいい。

ともおっしゃっていました。

その点で、日本語という母語や日本文化を大切にしているラボを高く評価してくださっていました。



日本人全員が英語が出来たら、もっとコミュニケーションが取れて、

人と人が繋がることができて、

ビジネスチャンスなども広がる上に、

日本の良さも伝わると考える弥生先生と


ことばは文化である以上、

英語を学ぶことは、無駄なグローバル化であり

アメリカ中心のグローバリゼーションが何をもたらしたかを考えるべき!

と仰る鈴木先生。


方法論は全く逆ですが

日本人の素晴らしさを今こそ世界へ伝えよう!

という点では一致しています。



経済暴走を食い止め、世界の破局を先送りできるかどうかは、

対立をやんわりと避け、共調しながら

間の道を探る

そんな日本人が音頭を取り、自然と調和する価値観をどこまで世界に広められるかにかかっている!とおっしゃっていた鈴木先生。


やたらと「すみません」を連発し、譲り合い、さりげなく会釈する日本人の優しさや


古代のアニミズム的、汎神論的な自然観をも未だに持ち合わせている日本人の

自然に対する優しさを失わず、

むしろ世界の人々に

日本語=日本文化=日本の精神を教えてあげなさいと

おっしゃっていましたね。



さて、それをどう世界の人々に伝えるか?

何語で?どうやって?


世界中の人が日本語学びたい〜と言って

勝手に学んでくれるなら

それであっさり叶うけれど。


もし英語で伝えていくとするならば…


たとえ英語を身につけても、心は売らず。

敢えて他人軸で考える優しさや

"私"個人ではなく、常に"私たち"で考える

優しさを持ったまま、

英語をツールとして操るということか。


今は、私はそのように理解しています。




鈴木先生の想いに共感し、

また鈴木先生の死を悼んでいた私。


英語維新が大成功の夜を迎え、

弥生先生ともお話しできる機会に恵まれました。


江戸時代のエコシステムが素晴らしいことや

人が繋がって支え合って生きていくしか方法がなかった時代から日本人が身につけた和の文化について、

鈴木先生のことばに思いを馳せながら話したら、

弥生先生には私のいわんとしている意図がうまく伝わらず、

「過去は良かったと言うのは嫌い」と

一刀両断。



過去は良かったと過去にすがる年長者に

対して嫌な思いをされたことがあるのかもしれないなと思いつつ、

(それは私も何度もあるし、理解できる)



過去が素晴らしいと言っているわけではないんだけどな〜

過去から脈々と身につけて来た、「気」と言うものについて話したつもりだったんだけどな〜と

うまく伝えられなかった自分の話力の無さを少し哀しみつつ

鈴木先生の話力の素晴らしさ、

切れ味鋭い極端な発言をされながらも

決してユーモアを忘れなかった

(いつも講演会では、笑いっぱなしでした)

先生のお姿を思い出しながら

眠りについたのでした。


一方で、世界の最先端の現場で、

一人で頑張って来られた弥生先生が

夢に出て来ました。


コンサルでも、依存するのをあまり良しとされないけれど。


私は、自立は依存を増やすこと

(依存できる場所や人を増やすこと)

ということばが好きです。


一人の人にだけ助けを求めるのではなく

たくさんの人が助け

たくさんのものが側にあり、支えてくれることで

常に愛を感じて生きていけると思うのです。


一見、不健全なくらい依存しているように見える人も、弥生先生が大好きなだけなんだと思います。

他にも好きな人がいっぱいいれば

特に問題はないはず。


私も弥生先生のありのままを見せてくれる

ところが好きだからここに居る。


私は、鈴木先生という偉大な依存先を

一人失いましたが、

他にもたくさん導いて下さる方がいて

幸せだなぁと思います。


ラボの子どもたちにも、親や友人以外に

私という存在が側に居るということを

伝え続けていきたいです。


私も彼らのお陰で楽しく生きているという感謝も伝え続けます。


そして、鈴木先生のような大往生、

私も目指します!


先生どうぞ、安らかに。