私はラボ・テューターになって17年ですが、
最初のテューター説明会の時に、
なんで女性だけなのですか?と
事務局に質問したと思います。
その回答が腑に落ちたから、
特に今まで疑問も持たずにやって来たと思いますが、
17年という時間の中で、自分なりの解釈に勝手に変化させてしまっていたかな?とも思います。
というのは、
ラボ・パーティを創った中心的人物の
谷川雁さんの
1971年に書かれたことばを読んだからです。
谷川雁さんはこう書かれています。
私たちは教育の専門家であってはならないのです。
教育とはもともとあきれるほど広いもので、
その根幹は、人間の一世代が総がかりで次の世代に向けて行うわけですから、〜中略〜
私たちはこどもたちの成長にとって静かに燃え続ける触媒であることを欲しています。
確かに仰る通りだなぁ…と思いました。
実際に自分がテューターをやっていて
昔アルバイトでやっていた塾講師(先生)との違いを大きく感じるのは、
*この教科の専門家、という狭い枠ではないこと
*子どもたちを大らかに認めて、受け止める力が必要であること
です。
母親が
本能的に、且つ総がかりで、
必死に子どもに向き合っているのは、
決して教育者としてではなく、
専門家としてでもなく、
無償の愛で向き合っているだけだなぁと思うのです。
谷川雁さんが、テューターという役職に求めたのは、
子どもたちにとって「静かに燃え続ける触媒」
母のような大らかな愛で包むこと、見守ること、なんだなぁと理解しました。
谷川さんは、
単体としての完結を求めがちな男性の指向とすれ違う限り、この仕事を当分女性の手に留めておきたいと思います
と書いています。
さすがですね!
男性=完結を求める、
と決め付けているわけではないけれども、
そういう指向とすれ違う限りは、
当分の間、女性にしておこうか、というわけですね。
母語Mother tongueを大切にしているから、
母性が大切だから、ということばで私は説明していましたが、
もう少し深い理由だったんだなと
改めて学ぶ機会となりました。
確かに尾木ママみたいな男性だったら、
テューターにいても不思議ではないです。

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