地震が起きたとき、僕は仕事中でした。
ビルの13階です。
最初はゆっくりと、だんだんと激しくなり、立っていられませんでした。
デスクトップのモニターが支えないと、倒れるぐらいです。
外を見ると、街灯が見たこと無いぐらい、揺れてました。
今まで経験した中で、最も大きな地震でした。
一瞬、このまま地震が大きくなったらマズイことになる。
死にたくない、と思いました。
地震が収まった後、手が震えていないか確認しました。
震えているような、いないような。。。
窓から外を見ると、
市原の火災、台場の火災が見えました。
空が煙で、黒く覆われました。真っ黒な雲です。
尋常では無い世界が、そこにはありました。
ビルでは警報がなり、安全確認できるまでその場を離れるな、という放送。
近くの人が、携帯電話でTVをつけました。
しばらくすると、大きな波が町を飲み込む映像が流れ始めました。
東北に家族はいないとはいえ、
飲み込まれた方達のことを想像すると、自分がその場にいたらと想像すると。。。
頭は冷静に、冷静に、と考える。
気持ちは落ち着かない。
なんでしょう、この感じ。変に覚醒しているような。
言葉では上手く説明できない。
余震が続く中、1回目の地震から約2時間。
やっと、ビルから出て帰宅していいとのこと。
今から考えれば、ビルで待機すべきだったのだろうけど、じっとしていられなかった。
あのまま残って仕事をするなんて、僕には出来なかった。
外に出ると、人の波。
地図片手に道を探す人たち。
スーツにヘルメット、という方も多い。
道に面した銀行の液晶には、ニュースが流れている。尋常じゃない。
とりあえずiPhone片手に、帰宅方面である渋谷へ。
人の波の幹線道路は、特に混乱もない。
旅行者とおぼしき外国人も、在住と見られる外国人も、そして日本人も、
等しく礼儀正しく、喚くことなく歩いていました。
(日本人「だけ」が素晴らしかったんじゃない、と僕の経験では言える。)
途中コンビニで食事を買おうとしたが、カップ麺系以外の手軽に食べられるものは、
どこも何も残ってなかった。
諦めて店を出て歩く。
そして、なぜか品川に辿り着く。
iPhoneのバッテリーを無駄にしないように、と道を人に聞いた時、
「品川方面へ(とりあえず)向かいなさい」と言ってくれたのだろうけど、
「品川へ向かえば良いんだな」と勘違いしてしまった。。。
その後、iPhoneで地図を見ながら、ひとまず目黒へ。
人の少ない、細い住宅街の道でも、地図片手に歩く人がいた。
夜8時。目黒。公衆電話で自宅に電話。
2回目で呼び出し音がなり、母親が出る。
父親も帰宅難民となっているとのことで、
途中まで深夜に車で迎えに来てもらう甘い目論みは、消え去った。
一気に疲れが来たので、どこか休めないかとTwitterで情報提供を求めた。
この時答えてくれた皆さん、本当にありがとう。
避難場所が土地勘ないので分からないこと、遠いこと、疲れていたので、
ひとまず目の前にあった居酒屋へ入る。
店内は、満席に近い状態。
会社の同僚、カップル、僕のように1人で過ごす人がいた。
その店にはテレビが置いてあり、数時間振りに映像を見る。
200、300人の溺れて亡くなったとみられる、ご遺体が見つかったとの速報。
余震の速報。
実際に震度2ほどに感じられる地震で、揺れる店内。
3時間ほど店内にいただろうか?
iPhoneのバッテリーは切れた。
京王線が動き出した、というので渋谷へ向かうことにした。
渋谷に辿り着くが、京王線に乗る人の列が、スクランブル交差点まで整列している。
諦めて渋谷の街を徘徊。
満喫、ネットカフェはもちろん満席で入れない。
銀行のATM前には、寒さを凌ぐため、人が沢山うずくまっている。
ドンキホーテ前も、人が集まってテレビを見つめている。
東急百貨店本店のロビーも解放されており、パイプイスで寝る人たち。
デパート社員の方が、両手を前に組んでロビーに立っていたこと、尊敬します。
結局1時間ほど彷徨ったあげく、駅に戻ることに。
戻ると駅もすいており、電車に乗って帰りました。
家に着いたのは4時。
その後はテレビを見ながら、速報に起こされながら、夜が明けました。
色んな方がおっしゃっていますが、混乱が無かったこと、本当に素晴らしいと思います。
約10時間、帰宅までの間、怒鳴る人、文句言う人、いませんでした!!。。。と言いたいけど、
1人だけいました。。。
地震が続いたせいか、寝不足で疲れがたまっていたせいか、
昨日はずっと揺れているような感覚がありました。
以上が僕の体験です。
まだまだ予断は許さない状況です。
月並みな言葉しか出てきませんが、支え合って、頑張って生きましょう。