ハンターさんの共存の定義が

そもそも

この記者さんや私が思うような共存の定義と

違うんじゃないかな

 

なぜハンターは「朝日記者」の質問に反論したのか 「本当に可愛いんだったら箱罠に入ったヒグマの頭を撫でに来い」(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 

このハンターさんたちが勝訴したことが良かったのかどうかについては、私には判断がつかない。
ただ、記者会見のやり取りを見ていて、ハンターさんが否定している「共存」の定義が、私が考えている共存の意味とは違うのではないかと思った。

そもそも、クマを頭を撫でるほどペット化したり、人間と一緒に住めるようにしようと思っている人は、共存を唱えている人の中にもほとんどいないと思う。
ヒグマと仲良くできるのは、せいぜいムツゴロウ王国にいたムツゴロウさんの弟さんくらいのものだろう。

つまり、多くの人は、ヒグマが危険な大型捕食動物であることくらいは普通に分かっている。


ハンター側が考えている「共存」

池上さんが否定している共存は、おそらく

  • クマと人間が同じ生活圏で平和に暮らす
  • クマを殺さず、人間も被害を受けない
  • できるだけ駆除しない

といったものなのだと思う。
ヒグマは人を襲い、命を奪う危険な大型野生動物であり、同じ空間で安全に暮らすことはできない。

だからこそ池上さんは

「それは共存じゃない、無理だ」

と言っているのだと思う。


私が思う(多分記者も思っている)「共存」とは違う意味ではないか

環境政策や生態学で言われる共存は、少し意味が違う。

  • 棲み分けをする
  • 人里に来た個体 人を襲う個体は駆除する
  • 山の環境を整える
  • 個体数を管理する
  • 人間の生活圏と野生動物の生活圏を分ける

つまり、

一緒に暮らすことではなく、衝突を減らしながら双方が存在し続けること

これが本来の共存の意味ではないかと思う。

整理すると、

記者や一般の人が考える共存
= 野生動物管理・棲み分け・政策

ハンターが否定している共存
= 一緒に安全に暮らす理想論

同じ「共存」という言葉を使っているが、意味が違っているように見える。


私が思う共存

私が思うに、誰もクマをペットのようにしたり、人間と一緒に暮らそうとしているわけではない。

人間の生活圏とクマの生息域をしっかり分け、接触や被害を減らしながら互いに安全に生きていける環境を整えること。
これが本来の共存ではないかと思う。

実際、欧米の先進国ではクマによる被害は日本と比べて大きく問題になることは少ないと言われている。

その理由の一つは、日本の対策や環境整備が十分ではないからではないだろうか。

無秩序な太陽光パネルの設置による移動ルートの変化、
山や人里での食べ物の放置、
里山の管理不足など、

クマが人間に近づきやすい環境が作られてしまっている面もあるように思う。

こうした対策の甘さが、人とクマの遭遇や被害を増やしている可能性もあるのではないかと感じている。

共存とは、頭を撫でることでも仲良くすることでもなく、
危険な接触を防ぐための現実的な環境整備と対策を徹底することだと思う。


鹿が増えたからクマが増えたという話がよく分からない

もう一つ気になったのは、

「鹿が多すぎてクマが増えた」

という発言だ。

正直、この意味が私にはよく分からなかった。

鹿が増えたからクマが増えた、という単純な話ではないと思う。

そもそも、日本では

ニホンオオカミやエゾオオカミを危険だとして大量に駆除し、絶滅させてしまった。

この時点で、生態系の大きなバランスは崩れてしまったのではないかと私は常々思っている。

もちろん、これだけが原因ではないだろう。
しかし、もともとの大きな要因の一つはここにあるのではないかと思う。

そう考えると、

オオカミを絶滅させ、鹿を増やし、
そして今度はクマをどんどん駆除する

という流れは、本当に正しいのだろうかと疑問も感じてしまう。


鹿とクマの関係はこういうことなのだろうか

考えてみると、おそらくこういう流れなのかもしれない。

鹿が増える

山の植生が減る

木の実や自然の餌が減る

クマが山から人里へ移動する

人との遭遇が増える

つまり

鹿が増える → 山の環境が変わる → クマの行動が変わる → 人との遭遇が増える

ということなのだろうか。

あるいは

鹿が増える

鹿肉を食べる機会が増える

栄養状態がよくなる

クマの繁殖が増える

という意味なのか。

この点については、少し説明が足りないように感じた。


最後に思ったこと

現場の危険性を訴えるハンターの言葉には重みがある。
でも、

共存の定義の違い
生態系の複雑さ
鹿とクマの関係の説明不足

なども感じた。

クマ問題は、感情論だけでも、現場の経験だけでも、理想論だけでも解決できない。

生態系、環境、人間社会、政策、すべてを含めて冷静に考えていく必要があるのではないかと思った。

 

 

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文の最初に、このハンターさんたちが勝訴したことが良かったのかどうかについては、私には判断がつかない。と書いたのは、


裁判の内容だけを見れば、行政処分が重すぎたという点で勝訴は理解できるようにも思う。
しかし年齢を考えると、昨今の高齢ドライバーに対する厳しい世論を思い出してしまう。
車は移動するための手段のものであり、猟銃は命そのものを奪うためのものである。
さらに、高齢ドライバーの事故原因の一つとして、医師が処方する薬の影響があるという指摘も医療関係者から出ている。
もちろん年齢だけで一律に区切るべきではなく、個人差をよく考えるべきだとは思うが、車の制度を思い出すと、猟銃を持つ仕事についても、更新や適性確認などを同じように厳しく行う必要があるのではないかとも感じたから。