人は、 上を見上げているときが一番輝いており、上を知ってしまうと下に降りるのが怖くなります。
資産が無いときの悔しさよりも、 資産があった時から滑落してゆく辛さの方が、 心の痛みは大きいと思います。
 
私も、資産増と共に、維持するための資金が増えてしまっているため、 それを捨ててスタートラインに戻るのは非常に辛いと思います。

 

金額で線引きはできません。満足できる人生のライン、足るを知るラインは自分でしか判断できません。

 

また、勝ち組と思う人が少ないのは、人間は、上を向き、希望を糧に生きる生物だと思うので、 自分で希望や夢に到達したと考えてしまったら、生き甲斐も減ってしまい、生きる意味は何なのか?と見つめ直す怖さがある部分もあると思います。

 

 

最近は 自分の娯楽、楽しい生活のために、お金を使っている部分も多少ありますが、

それよりも、継続的な寄付など、他者の育成のために使っているお金の方も多いことを、回答を書きながら見つめ直しました。

 

知らない間に、自分の生活は

それなりの娯楽と満足できる家、そして楽しい車や宝飾品など ある程度の金額で満足できてしまっており、

近年は、結構なボリュームの寄付を継続していることから、それが、いくら資金があっても足りない(大して資産が増えない)原因なのだなと再確認しました。

 

余談になってしまいますが、コロナのせいで、実力・才能はあるが、運が悪くてビジネスが行き詰まった人が周りに増え、

それらを支援するため、お金を必要として動いている自分がいる気がします。

 

なので、勝ち組・負け組とか、そういう感覚とは別で

 

自分が満足できる、自分と周囲の人の素敵なテリトリー

を維持するための費用が必要であり、

 

それは金額で決まるものではなく、維持費は継続的に発生するものであり、

また、前向きに生きている以上、新しい人との出会いもある

 

日本人育成・交流した人のために使いたいお金が増え (数十年後も、日本語を守りたい)

自分のご褒美のためのお金も少し欲しい

 

使いたいお金が増えるから、もっと資産を増やさないといけない

自分より境遇の悪い人達は沢山いる

 

今までは目上の人が沢山いましたが、 いつの間にか、目上の転換点に来てしまっている

 

稼げる人が稼いで上手く社会に資金を巡らす

 

 

本当の欲だけ書いてしまえば、お金儲けだけに集中し、他人の不幸などまったく気にしない、カネカネであれば、さらに一桁多くお金は増やせていたかもしれません。
家族を含め、周りの環境の影響もあり、カネカネから一歩引いた状態にならざるを得なかったのですが、 同じく周りの投資家の知人を見れば、一桁多く資産を増やしているため、悔しいか?と言われれば非常に悔しいです。
前澤氏のように、貪欲にもっとお金を増やした後で寄付を始めた方が効率良かったのも確かであり、それが出来なかったのも歯痒い。

 

結局は、人間の寿命が、実際には80年程度であり、成人前後から考えると、まともな大人の人生が50年間程度しかないのが最大の問題と思います。
なので、5000万などのキーワードも寿命が邪魔してきます。

個々人のベストな時期は千差万別で、10年で開花する人もいれば、50年で開花する人もいるかもしれない。

その寿命という期限が決まっている焦りが、 幾らあれば満足か?勝ったか?という線引きの焦りにも繋がっていると思います。

 

百年後でも、人類の寿命が数百年、数千年(肉体ではない)の世界になったら、幾らの資産があるか?など、おまけみたいなものになるのでしょう。

 

AIも駆使し、戦争なども馬鹿馬鹿しい。

宇宙という空間で、重力時間も操れるようになってきたら、過去にも戻れ、本当の意味での「生存と存在」の意義を考え、マネーという存在自体無価値に近くなっているのかもしれません。

 

それは遠い未来ではなく、孫の代くらいにはやってくるのかもしれませんね。