保育士の仕事をしていると

子育てに関するいろんな情報が入ってきます。


で、最近(っていう前置きはあまり好きではないのですが)

子どもを愛せない、愛し方がわからない

という人が多いということ


以前よりもいろんな人生の生き方があるこの世の中。

「こんなハズじゃなかった」

「子どもはあたしにいらなかった」と

考えている、悩んでいる人が多くなっているとのこと。


きっと、子育てに悩む家庭は、全家庭の総数と

そう差異はないだろうけど

でも、でも、なんだかんだ言っても

「やっぱりわが子は可愛い」って思う人が大半だと思うんですよね。


ところが

そうじゃない人が多い。

それは、精神的なものとか、器質的なものなど

いろんな理由がありますけど

「わが子が愛せない」ということで

悩んでいるお母さんたちは、いるのです。

「愛せないから憎い」「可愛くないから愛せない」など

そんな子ども側に理由を求めているのではなくて

「どうしてあたしはわが子を愛せないのだろう?」

という母親自身の問題に悩んでいる人がいるのです。




そんな話を保育士たちでしていたら

「やっぱりあたしたちが

専門的なケアをしていかなきゃならないんだろうね。

いろんな情報に惑わされず、その人にとって

もっとも必要な情報と、そのケアをしていかなきゃいけないんだね」と。




あれこれ話し合いをしていく中で

あたしは愛娘の実母を考えてしまいました。

詳しいことはわからないですし

細々としたことは聞いてはいるものの

もちろん「実母」「本人」から聞いたわけではないですから

なにが真実かどうかなんてわかりませんし

それを知る必要もあたしにはないです。


ただ、やっぱり思うわけです。

きっと、彼女も、「どうしてわが子を愛せないのだろう?」

と思った人なのではないだろうか?と。

その、悩んだ瞳で見つめられた愛娘は

何を感じ取ってきたのだろう、と。


愛娘は、元気に大きくなっています。

家族には割りと素直に感情表出しているように思いますし

社会性もきちんとあるので

発達曲線の平均範囲を育ているように思います。

彼女がはじめに育ったのは

相方と、実母と、そして、相方の家族たちがいた環境。

その環境の中で

彼女はここまで元気に育つことができました。

今度はそこに「あたし」が加わります。


やはり、彼女の環境を受け止めて

このよい発達環境の一部になれるよう

あたし自身がいろいろと変わっていかなきゃいけないんだろう。

あたしが「子育て」をするのではなく

あたしもいる環境で「子育て」していくのだ、と。

だから、直接的に愛娘に配慮するのはもちろん

相方や相方のご家族が笑顔でいることが

(もちろんあたし自身が笑顔でいることが)

一番大切なのだろう、と。

それは相方が決断した大きな理由のひとつでもありますし。





きっとね、一緒に暮らしたら

この間の滞在時のように

小言が多くなりそうで

それが嫌で嫌だったから。

あたしも、ちゃんと彼女を受け止めていきたいから。

もちろん、保育士的にも、理論的に

ちゃんと踏まえておかなきゃいけないところは

しっかりと持っておきたいと思います。