学生さん達をお花見に誘うため以下のようなメールを出しました。
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皆さん
本日花見にできるだけ出なさいと言ったことについて、何故なのか考えて欲しくてメールを出します。
「言わぬが花」ということは、私自身よ~く分かっています。しかし、言わないと本気で考えない学生がいると思ってメールを出すのです。
花見にせよ、ゼミにせよ、皆さんが分からないような所で私は私なりに必死に調整しながらやっているのです。花見を断る理由はみんながギャグで言ったのかもしれませんが、知人達が放射能の降り注ぐ福島沿岸で自宅待機している私には、そういったギャグを受け流せる気持ちには中々なれません。
多くの人たちが手を差し伸べて欲しいと言っている最中に、それを知っていながらこの花見を実施するのですから。それは、重い決断です。ご存じの学生もいると思いますが、卒業パーティーにはとても私は心情的に出られませんでした。しかし、「今こそゼミ生と桜花だけは眺めないといけない」と、決心したのです。
被災地に電話をしたりメールをすると、どっと疲れます。それは非常に重い言葉が多いからです。しかし、つらくても私はそこから逃げる気はありません。だから、気持ちは自ずと重くなってしまうのでしょう。
ただし、一方ではそのリアルな状況をあなたたちに生のままで提供しようとも思っていません。
あの津波の惨状を覚悟ができていない状態でいきなりあなたたちに見せたら、たぶんトラウマになるでしょう。そこには私の知り合いや親戚、そしてあなたたちの同世代もいるという、この非情なる事実・・・。トラウマになるような光景に生活する多くの人々。
私が望んでいるのは、たとえ現地に行かないあなたたちでも、私を介してそのような歴史的事実の目撃者になってもらい、将来の日本やあなたたちの生活を、あなたたちなりに素晴らしいものにできるよう、考えることです。子供の時はむやみに物事を恐れたり、目に見えないなにものかがいるかのように幻想に打ちのめされることもあったかもしれません。しかし、青年期を迎え、あなたたちは異なった精神活動ができるように育ちつつあります。周りに無秩序に突き動かされるのではなく、自分の意識をしっかりもって自分の足でたって歩み始めて欲しいのです。そのためには、心に「考える種」を撒く必要があります。
すべては、より深い思慮を生むためのプロセスです。今すぐにみんなに「何かが出来て欲しい」などとは思っていません。ただただ、心の中に「考える種」を撒きたいのです。ただし、みんなと見上げる桜花を最初から拒否していては、心に種は芽吹きません。
さて、どんな人々と桜花を眺めたいのか・・・・。花見には自然保護を地道にやっている方々が顔を出してくれるようにお願いしています。研究題材が魚類にせよ、鳥類にせよ、爬虫類にせよ、絶滅危惧とは何なのかを考えるのに、我々は自分の住む場所とその環境を日頃から考えずには、リアルな研究はできません。その意味で、この花見の集まりはゼミ以上の意義があるのです。
研究は、大学で机に向かってやるだけ、とも思って欲しくないのです。頭でっかちに「勉強だけ」で卒論を乗り切ろうとしないで欲しいのです。自分だけ、自分が良ければいいのだと、思い込まないで欲しいのです。厳密な意味で他者の幸せを踏みにじる上に自己の幸せは存在しません。なぜなら自己と他者は連続的だからです。
その意味でも、「体で環境を感じ取ること」をそれぞれの感覚で会得しながら、自分とそれに繋がる環境の問題として、地球規模の視野を持った研究を、常に意識できる人物に卒論の経験を通して育って欲しいのです。それは、実践的にどのように理性を展開させるかを思惟できる、人間に育つことであり、社会人として、人の親として相応しい思考を身につけることになるのです。
お酒についてですが、飲める人は飲んで下さい。ただし、一気とかは駄目ですよ。私は足のない方のために飲まずに居ます(もともとビール一杯位しか飲めませんしね)、車が無いと買い出しに行けないしね。つまみは、行楽弁当的なものと花見団子を用意しようかと思っています。
また、竜口山の下山は2時くらいかと思っていますので、そこから準備をして何人かを迎えに行きながら買い出しをし、3時くらいに駐車場で集合することを考えています。3時に私がいないと、ゲストさん達は困るから、私が頑張って戻らないとなりませんね。
さて、成長するには、今までと異なったことをする必要があります。「同じ事を続けながら、違う結果を望むことは、間違っている」という意味のことをアインシュタインが言い残しています(正確なところはイマイチ自信がないが・・・)。もし、ずっと子供の時以来のきまりきった思考だけを大事にしすぎて、成長しようとしないなら、それはアインシュタイン的には「間違っている」ということになるのでしょうね。是非、皆さんは古い殻を脱ぎ捨てながら「違ったアプローチができる人材に」成長して欲しいのです。
以上のことで分かって欲しいのですが、ゼミ生には少しでも時間が調整できるなら、新しい出会いと、時間の共有のためにこのお花見の会に参加して欲しいのです。私の心からのお願いです。