縄文人の人口は100万人いかないか?

まあ、人類学者がはじき出した縄文人の人口推定値自体も見直さねばならないとは思いますが・・・。現状では「A:みかけの遺跡数×B:集落での人口」で求めているので、特にABも論拠不足と言わざるをえません。そんな議論から導かれた内容を論拠に、「縄文人の人口から考えて、当時の環境の生産性は非常に低かったでしょう」という推論をするのは確かに論理が飛躍しています。しかしながら、彼らの生業戦略で利用できる資源の回復力はさして高くなく、資源の枯渇を避け捕獲対象を変えたり、場合によっては集落を廃絶したりして、移動する事があったのではないかと私は考えています。

私は縄文農耕論に懐疑的な上、さらに三内丸山遺跡等で主張されている巨大縄文集落については懐疑的です。失われている遺跡(津波によって流された遺跡も含みますね)もありうると考えているので、縄文時代にも日本の総人口は100万人を超えることがあっても良いのではないかと考えています。そうそう、この説については、とある某人類学者と酒席で議論した時には「民族例から考えても、困難であろう」という回答を頂き、強く反論を受けた経験があります。なるほどと思う点もありつつ、あえて「100万人位はいけないか?」と、思っています。

私自身は縄文人の総人口最大100万人程度であったにしても、その生業は当時の生業戦略での(ゆるやかな)限界に近い状況まで環境を開発していたのではないかと思うのです。つまり、縄文人は環境変動で変わる資源量によって生存の危機に至る事を避けるために、多量に捕獲できる資源は保存食料に回しつつ(例えば干し貝、イワシ類・サケ科の加工が推定されています)、自家消費による越冬や越夏を企てるとともに、場合によっては季節的移動や交易による資源調達もあったのではないかと思っています(殆どの貝塚出土資料は310km程度の近隣の資源ですので、この割合は低い可能性が高いと思いますが・・・)。それを効率良く実行する為に、東日本では出作りムラ的な小集落が多く残されたのではないかと思っているのです。

中近世~近現代のシカやイノシシの増加は、やはり活発な農地開拓が背景にあるでしょう。そして、その遺存体の中に、縄文時代にみられた森の主の様な巨大な遺体は確実に少なくなっていると感じています。これはやはりちゃんと数値にして議論すべき内容ですね。宿題といえるでしょう。