狩猟・採集圧

縄文人が狩猟・採集圧を強くかけてしまって、資源を危機的状況に陥れがちだったのは貝類が筆頭で、次いで淡水魚かと思っています。回遊魚でそのような状況が生まれた可能性は低いと考えています(例えば札幌の事例ですが、あれだけ限定的な水域の地域でありながら、イトヨやウグイ・マルタウグイ等は色々な時代で元気よく出土します)。陸棲哺乳類ではさほどの枯渇状況が生じたことがないのではないかと思っています(林謙作も「亀ヶ岡と遠賀川」『岩波講座日本考古学』で指摘しています。私は多少データの読み方が違うものの、ある程度林が指摘した状況と似たようなことがあったと考えています)。海棲哺乳類に至ってはもっと圧力がかからなかったと思います。

今でも回遊魚や淡水魚について、放射性物質の蓄積が問題となっていますが、縄文時代以来の生業が失われる可能性についてこれらの生物に対するものも指摘できるでしょう。特にサケは現代でも有用な魚種ですから、もし汚染が広がるならば悲しい状況を招きます。そのような中で縄文時代のサケマス論は有名な議論です。私は、サケマス論については、慎重に考えています。

サケマス論は、縄文文化の東日本での優位性を指摘するものですが、その根幹の議論である縄文人の人口についてお話しを展開しなければなりません。東日本で縄文人の人口が多かったと多くの方々が指摘されていますが、これについては西田正規らの批判(西田正規1985「縄文時代の環境」『岩波講座日本考古学』2)があります。私も集落立地を考えた時、宮城県北部等の東日本では、サケ漁やシカ・イノシシ猟でも、その捕獲地周辺に作る出作りムラが多いため見かけの集落数が多めにみられているのではないかと気がつきました。一方、岡山県南部等の西日本では、基幹集落数は東日本とさほど変わることがなく、出作りムラが少ないため見かけの集落数が少なくなってしまっているのではないかと思っています(比較の図は、前掲の富岡2010縄文時代の動物質資源と生業圏」に掲載)。このような考え方の背景には、西田(前掲)も紹介しているニホンザルの行動範囲が東日本と西日本で大きく異なっていたという高崎浩幸の研究があります。