勉強には色々ある。


暗記するもの、思考力を培うもの。


訓練の仕方も色々ある。


計算能力を上げる訓練、読解力を上げる訓練。

じっくり考える訓練、急いで解答を推理する訓練。


そして、結局は自分にあったやり方を見つけること。


それこそが、勉強なんだと思う。


合っていないやり方を無理に何時までもやっていても上達しにくい。

ゆっくりでも良い、

早くても良い。


「一人だと集中できない。みんなで一緒じゃないと勉強が進まない」という学生さんが居た。


「じゃあ、みんな巻き込んだら良いじゃない?」


 それ以来、彼女はそれこそ友人を巻き込みまくって、勉強をするようになった。調査旅行にも沢山出かけた。学生も巻き込まれたが、私も巻き込まれたかもしれない。あの頃を振り返ると、非常に沢山のフィールドワークに出かけている。


 そんな彼女は頼り上手でありながら、一方で、「後輩の面倒はみられない」と言い切っていた。しかし、思いの外彼女の後輩達も芸達者で、日頃のつきあいを通じて上手いこと彼女の心を解きほぐし、打ち解け、彼女からアドバイスを引き出した。彼女のことを振り返ってみると、喩えていえば、「小台風の目」であった。


 勉強ではゼミが違う学生さんも巻き込まれていった。そして、面白かったのは、皆が楽しそうだったこと。レポートや試験、卒論や修論も素敵な出来となった。小台風は回り続けた。彼女たちのグループはとても印象的な存在となった。


 台風の目は無風という。彼女も極めてクールな存在で、精神年齢は私の数倍上だった。と、あらためて思い返す。


 さて、研究であるが、これを教えるのは難しい。ドリルみたいなものを渡して、「やっておきなさい」と、指導すれば勉強の訓練はとっかかりができる。研究については、「やっておきなさい」といっても、表面だけやっているだけでは研究力はなかなか伸びていかない。それこそ、寝ても覚めても研究課題のことを考える状態におとしいれること。これこそが必要になる。「寝ていても先生が夢に出てきた」「調査旅行の夢をみた」「夢の中で考察を書いていた」。こうなると、研究の階段を上り始めたことになる。


 研究を深めるヒントは、朝刊の片隅、車窓の一瞬の景色、夜景のネオンサインに宿っている。当初、混沌と捉えられた事態は、激しいブレインストーミングの後、じっくり意識の水槽で沈殿させると、実はシンプルな骨組みをみせ出す。それを受け止めるには、机に向かっているときだけ考察していたのでは時間が少なすぎる。常に考えること。食堂でも、コンビニでも、飛行機の中でも、トイレの中でも・・・。


 だから「研究は孤独な作業」という人もいる。でも、騒がしいカフェが好きで、そんな店で考察をメモする研究者もいる。かく言う私も、時折煮詰まると珈琲店に出かけて、カフェインに弱いのにコーヒーを飲みながら、校正をみなおしたり、論文の手直しをしたりする。


 「研究で疲労して、研究で癒して、研究を続けてきた」と、私の師匠は言っていたが、結局弟子の私も似たような生活を続けている。

 

 さて、卒論も中間地点を折り返し、そろそろ構想発表会である。ただし、多くの学生さんは「研究とはなにか?」というものをつかみきっているとは言えない。「これをやりなさい」というアドバイス待ち、喩えていえば、ツバメの雛が「餌くれ~」と口を開けているような状況かもしれない。でもそれは、勉強止まりの行為である。


 研究のステージに上がるには、自分の入手した資料をとことんまで観察し、分析をすること。その対照資料を探し、とことん比較すること。そこから始まる。そして、私のゼミでは既にその話ややり方について指導が終わっている。後は実践するのみ。もし、まだ実物資料をみたりないと思う学生は、現生標本を含め、いろいろな標本にあたっていくのが良いであろう。そして、統計分析を自分なりに試すこと。平均、標準偏差を求め、測定値・計測値を散布図にして、平均や標準偏差をプロットするのも良いであろう。


 また、図を描くのが好きな学生なら、今のうち実測図を製作するのも良いであろう。分析対象とする骨格等の図を作っておけば、中間発表会や卒論で利用することが可能である。