こんにちは♪研究員のぴんです。


あっという間に6月に。今年はすでに夏物の服を着ている。今からこれでは夏になったら水着しかないのだろうか(爆笑)


さてさて、今日は、先日書くつもりだった

「失われた30年」について書きたいと思う。つまらない愚痴かもしれないがお付き合い下さいな。


まず究極のディスりから。

やはりきっかけはロシアのウクライナ侵攻による物価高、コロナ禍を経て人手不足も伴い、やっと賃金が上がってきた。失われた30年もようやく抜けるんかいなみたいな雰囲気ですね。


ですが、我ら氷河期世代は50代

今更、賃上げしたところで

20代の方々に比べれば、

働く時間は僅かという現実

_| ̄|○


ということを賃上げのニュースを見るたびに思う。


人生100年時代、高齢者を70才からにしようなんて話や投資を勧めてみたり、要は国が年金払いたくなく、年金当てにしないでねと言われてる様だ。


↑70歳まで死ぬわけにはいかないニュース


それでも元気で仕事を選ばなければ働く場所はあるのかもしれない。


今20代の方々は賃金がいいと思うが、失われた30年下では、氷河期世代ほど恵まれた青春はなかった人も。氷河期世代の親が貧しければ仕方がない話かもしれない。


よく給食業者が倒産したとか、まずそうだったり品目が少ない給食の画像を見たりすると、ぴんの小学校時代はなんと恵まれてたと思ってしまう。


小学校時代、給食室でおばさんたちが給食作ってくれたなと。要は出来立てですな。

焼きそばとか好きだったなぁ。


家のゴハンより学校給食の方が好きすぎて、ぴんちゃんママが呆れてたものだ。同居人ぶー(兄)は、学校給食でデブの素地を作った様なものだ。


脱線してしまったが、今の20代が大学を卒業したところで奨学金などの支払いがあると言う。

この30年で学費は親が払うモノという感覚から、子が自分で払うモノになって来ているのだろうか。


氷河期世代の親も出したくても先立つものが、なければ仕方がないのかもしれない。

したがって社会人になる前に借金を背負っているに等しい。


氷河期世代のぴんだが、就職した頃は呑気なものだった。

なんせアルバイトはいくらでもあった時代。バブルが弾けたとこれで、すぐには緩んだ空気は締まらない。あの頃、ぴんも就職はなかなか決まらなく、でもいろんなアルバイトして、バイトのプロ(爆笑)でもなろうかなと思っていた。

フリーアルバイターとかいう言葉が当時あった。

夢を叶える為、あえて就職しないという若者は多かったと思う。


ぴんも就活は2社ぐらいで辞めて遊んでいたが、卒業直近で就職が決まり、ラッキーだったなと我ながら思っていた。


あれから30年(綾小路きみまろみたいだ)、あっという間だったと思う。


って今の高齢者についての話が抜けていた。

今、80才以上の、夫の所得もあって裕福な、夫の遺族年金がある専業主婦は結構年金をもらっている。がどの世代にも番狂せはあるものだ。


最近よく聞くのが、子供が面倒みてくれないという話。ここでの面倒は金銭的な面倒ではなく、日々の生活の面倒である。

この世代は嫁姑で苦労してきた世代である。

自分が姑に使えた様に、今の嫁はしてくれないという。

嫁だって働いてるからだ。

共働きはかなり定着したからだ。


したがってぴんがゴミ出しをしていると、ご近所の老人が、「おたくはいいわね」とぴんちゃんママにいう。

40年くらい前ならば、我が家の様な8050ファミリーは後ろ指刺されまくりに思うのだが、暮らしやすくなったものだ。

と言っても、すでに多様化の社会、気にする人はいないのかもしれない。


話は尽きないが、世代間時間差格差はあるものの、各世代それぞれみんな大変なんだという結論に至る。

100年生きてりゃ、いい時代、悪い時代は繰り返しくるので。個人的には100才は想像したくない。


ただ戦争の時代には戻りたくないですね。


人生はサバイバルで波乗りサーフィンの様にも思える。


ランチタイムのぴんでした。


コムサカフェにて

今月のケーキは、枇杷でした。あっさりしてますが美味しい。