こんにちは。

 

今日はLAのトップニュースで

30年前の地震のことをずっとやっていました。

 

沢山写真が出ていますのでこちらに残します。

 

「あの日から30年」

 

(写真はLA magazineより)

ABCやKTLA各ローカルニュースでもこの写真が使われています。

 

 

私の体験談

 

 

1994年1月17日朝4時半すぎ

ドーンという音と共に下に一気に落ちる感覚と、大きな揺れに目が覚めました。

 

あたりは真っ暗。

何十台もが襲ってくるように聞こえる車のアラーム。

 

家全部が大きな船になり荒波の中で大揺れしているような感じ

もしくは家全部が掴まれてシェイクされてる感じ

 

立ち上がる事も出来ず、そのまま揺られるしかない状態が1分続き

 

地球は終わったのかななどと思いながら(寝ていたのでよくわかっていなかった)

止まった時、シェイク音は消えても車のアラームだけが不気味に大騒ぎしていました。

 

余震が来る、来たらここは潰れると思い暗く見えない中ドアに向かい外に出ました。

 

まわりの住人も毛布をかぶって出てきてて

アースクエイク?という声がちらほら聞こえてやっと理解し

誰かが車のラジオをONにし情報を得ました。

 

 

私はすぐに日本の家族へ電話。その時はまだ繋がり

「大地震。大丈夫だから心配しないで」と。

その数分後はどこにも繋がらなくなりました。

 

マグニチュード6.7という事でした。

 

その時の14番フリーウェイ

(アンテロープバレーFWY)

 

(写真LAmagazine/FEMA)

サンタモニカのアパート(私が住んでいた所ではありません)

 

私はその時、サンタモニカのアパートに住んでおり

写真のように外壁はここまで崩れはしませんでしたが

家の中のものは全部ひっくり返り

全体的に建物は斜めになり

食器棚の中は全て落ちていました。

 

冷蔵庫は倒れておらず、真ん中に移動してました。

 

 

その後レッドカードを貼られると退去

イエローカードはダメージはあるが住んでよしという事で

イエローカードが貼られました。

 

カイザーの病院

 

電気とガスはアウト。

消火栓の水があちこち噴水で水浸し。

 

 

でも、LAXから南は被害はなく揺れもそれほど感じなかったという事です。

 

 

(写真LATimes)

グラナダヒルズ

ガス管が破裂したそうです。

 

(写真getty images)

ハリウッドBLVDにあった銀行

 

ハリウッドBLVDのパン屋さん

ハリウッドも被害が大きかった。

 

(写真AP通信)

10FWYラシエネガBLVD

ここは毎日通っていた通勤路でした。

(写真getty images)

 

9000人以上の負傷者

57人の死者

400億ドルの経済損失

 

(写真getty images)

ノースリッジモールの駐車場

 

(写真getty images)

 

友人に聞いた話

チャッツワースの一軒家にいた知り合い。

家は崩壊し住めなくなりホテルへ移動。その間泥棒に入られ

そのまま家も売却。

 

(写真getty images)

 

アパートに住んでいた友人はトイレの便器が吹っ飛び車庫が崩れ車は廃車。

違うアパートへ引越しました。

 

CSUN  (getty images)

 

あれから30年。

今は地震科学が進歩し地震への対応、訓練、災害計画のために

ShakeMapが作られたそうです。

 

シェイクマップでは過去7日間の地震や過去のアーカイブなども見れます

 

image

地震がきたら。ラッキーは私の隣で寝ているので

かかえて外に出ようと思います。ニコニコ

今は携帯電話があるし心強いです。

 

色々と思い出して気を引き締めることとなった1日でありました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます!

 

 

 

 

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