11年前取材相手からのセクハラがきっかけでPTSDになり、放送局の記者を辞めました。

これまでは周囲の反応として友人知人の反応を中心に書いてきましたが、今回は家族の反応を記載したいと思います。

私はFacebookで両親とも、義理の両親とも繋がっています。両家はブログを見ているかもしれません。でも、何も言いません。もし見ていて口を開いていないとしたら、実父母はヒヤヒヤしていると思います。でも、頑固な娘なので、静観しているのだと思います。義父母は、息子夫婦の問題だからと、任せてくれているのだと思います。

子ども達はまだ未就学児なので、よく分かっていません。でも、一応話しました。ふーん、という感じでした。

そして、夫。夫には、事後報告でした(笑)夫は繁忙期で余裕がなかった時期でもあったということと、ダメとは言わないという妙な確信がありました。

ブログ開設の2日後くらいに夫に伝えました。どのような内容で、なぜ始めたのか。何を伝えたいのか。そして、顔出ししていて迷惑をかけることになるかもしれないこと。でも、それでも発信させてほしいことを話しました。

わかった、今度見てみるね、と言っていました。

それから3回くらいブログを読んだか確認しましたが、その時点では読んでいませんでした(笑)だから、今も見ているか分かりません。

夫と出会ったのは私が三度目の入院生活を送っている時、他の人を見舞っていたのが夫でした。出会いの時点で私は精神病患者だったので、多少感覚が麻痺しているところはあるかもしれません。

夫は不思議な人です。周りからどんなことを言われても、世間体がどうであっても、自分が見て感じたことを信じる力のある人です。お付き合いを始めてすぐに、私が病人であることは気にならないか聞いてみました。すると、「自分にとっては違和感がないから気にならない」とのことでした。

私のブログに過剰反応しないのは、これまでほとんど全てのことを話してきているので今さら驚かないというのもあると思いますし、過去をオープンにすることで私がどのように人から思われても、自分の私への見方は変わらないから、というのが一番大きいのでは、と思います。そして、その結果自分がどう思われても、さして気にならないというのも大きいのではと思います。

相手をスペックだけで判断せず、その人の人となりを理解しようとする相手への敬意がセクハラをはじめとする問題解決につながるのではと昨日書きましたが、私自身まだまだその域には到達できていません。もしかすると、相手への敬意は自分の感覚を信じる力、自分への敬意が実現の底支えになるのかもしれません。