11年前取材相手からのセクハラをきっかけにPTSDになり、放送局の記者を辞めました。

退職してから、当時の部門長から謝罪の手紙をもらいました。その上司とは、セクハラについて直接はなしたことはほとんどありません。その下の役職者か、もしくは役員とやり取りしていたので。リハビリ出勤したときも、一言励ましをいただいた記憶はありますが、それ以上お話した記憶はありません。

手紙には、何もしてあげられなくてごめん、君の前途を祈っている、という趣旨が書いてありました。

きっと話しかけたくても話しかけられなかったのかも知れない。彼は彼なりに、たくさん悩んだのかもしれない。

でも、在職中私が感じたのは「避けられている」ということ、そしてとても社長になりたい方だったので、とにかくわたしの責任を取りたくないのだろうな、ということでした。

セクハラ案件が報道されてから特に、孤独を感じることが多かったように思います。当事者であるはずなのに自由に話をすることは許されないまま報道され、与り知らないところで方針が決まっていて、私のいない場所で謝罪がなされ(官公庁と会社間)、あっという間に片が付いてしまっていました。

私は、まだ渦中にいるのに、周りだけがどんどん解決していくというギャップに苦しんでいました。

上司からの手紙を思い出し、今思うのは、在職中に上司の声が、聞きたかったです。そして、話を聞いて欲しかったです。私の問題の解決に、私も仲間に入れて欲しかったです。なぜなら、事態が変わる可能性があるから。辞めなくて済む道が生まれたかもしれないから。示された方針に、納得して歩むこともできたかもしれないから。

今回の財務次官報道を受けてブログを開設したわけですが、ずっとこのことを発信していくつもりは、今のところありません。ではなぜ今発信するのか。それは、「この案件も、今議論することで、事態が変わるかもしれないから」です。

時間が経って謝罪を受けても、説明を受けても、話を聞かれても、自分の気持ちを納得させる材料にしかならないことが多いのです。だから今、みなさんにもほんの少しでも、我が事として手に取り、考えていただきたいのです。