11年前取材相手からのセクハラをきっかけにPTSDになり、放送局の記者を辞めました。

今、私は法人営業の仕事をしています。この仕事に就いて、記者はセクハラを受けやすい構造下にあると気づきました。

それは、記者は相手に提供できるものが少ない、ということです。

営業は、サービスを提供します。サービスに対して、お金をいただきます。

記者は、取材相手に提供できるものが限りなく少ないのです。記者は取材相手に情報を求めます。その情報は、場合によっては取材相手の立場を危うくするリスクのあるものです。昔は接待でもてなして情報をいただくということもあったようですが、今となっては記者が扱える経費はかなり少ないのが実情です。キー局は分かりませんが、少なくとも私が勤めていた地方局では、ほとんどなかったように記憶しています。現に私の放送局のキャップは、自腹で買ったお酒を取材相手に持っていっていました。

私が相手方からのセクハラ行為に対して無下に断れなかったのには、やはり「情報がほしい」という思いが強かったからです。情報の見返りとして、この程度は我慢しなければならないものだと思っていました。そして、我慢できると思っていました。記者の仕事が好きだったから。

でも、私は我慢できなかったんですよね。記者としての使命感が足りなかったと言われればそれまでですが、ストレッチした心は、伸びきったまま戻らなくなってしまいました。

セクハラを招きやすい構造は記載しましたが、対案はまだ思いつきません。でも、今回報道された女性記者も、その構造下でたくさんの葛藤があったのだろうと、思いを馳せています。