11年前取材相手からのセクハラがきっかけでPTSDになり、放送局の記者を辞めました。

私の案件は、公務員の不祥事ということで全国放送になりました。放送局の顧問弁護士が私のサポートもしてくれることになり、相手方はすぐに顧問弁護士に謝罪の意思を見せたと聞いています。

その相手方は、2カ月もすると謝罪を撤回し、法的な手段に出るなら争うと言ってきました。

相手方が勤めていた官公庁は、会社に対して謝罪しました。その様子も報道され、世の中的には一件落着したように整理されました。

でも、傷ついたのは私なのに、誰からも謝罪を受けることが、できないんですよね。
そして、まだ入院していて、病気はいつ治るかも分からない。仕事に戻れるか分からない→無職になった。それなのに、私の案件は、片が付いたという形になってしまった。

私はあがきました。放送局には、謝罪する相手が違う、私に謝罪するよう求めてくれと訴えました。でも、これには一切応じてくれませんでした。はっきりとは言われなかったものの、ネタ元である官公庁との関係を私一人のせいでこれ以上ねじ曲げたくないという大人の判断でした。

渦中にいるときは、喪失感や不安感もあったのですが、最も大きな感情は、怒りでした。相手方に対して、私を飼い殺しにしている放送局に対して、放送局と官公庁との構造的な問題について、凄まじい勢いで忘れていく世間に対して、離れていく友人に対して、そして、情けなく力のない自分自身に対して。

でも、少し時間がたち、怒り続けるのも諦めようと思いました。納得することはできないけど、でもこの状態では生きていくことができない。自分の中で、区切りが必要でした。

そこで、労災申請することを決めました。

放送局の顧問弁護士に労災について話すと、その時はそれであなたの気持ちがおさまるならやってみたらと言ってくれました。手伝いはできないけれど、と。でも、申請が受理されて放送局への調査が始まると、申請を取り下げるように求められました。私には休職中も、満額のお給料が支払われていました。それを理由に、会社は私に対して責任を果たしている、労災の調査は人事の負担を増やしている、あなたも社員だったのなら仲間の負担を増やすことは望みではないでしょう、とのことでした。

私を初めてPTSDと診断した医師の所にも、診断書を書いてもらうよう依頼しに行きました。一旦断られました。何らかの金銭的な補償をうけてしまうと、病気を治す気力がなくなるから、とのことでした。気持ちを話し、最終的には書いてくれましたが、別れ際に「あなたはすぐに病気を治せる人だと思ってたんですけどね」とイヤミを言われてしまいました。この発言の裏にあるとある出来事も、いつか書きたいと思います。

病気の渦中にセクハラ内容の詳細を思い出し、書面を提出し、時には直接お話もするということは、とてもハードなことでした。でも、上記のように協力を得ることもなかなか難しい状況でした。ただ、とにかく区切りが欲しいの一心で踏ん張り、1年後、労災認定を受けました。