11年前受けたセクハラがきっかけで、放送局の記者を辞めました。
今回は、周りの記者について。
同僚の記者は、総じて知ってたのにサポートできずごめん、という雰囲気でした。入院中は、ほとんど誰もお見舞いに来てくれなくて、総スカンを食らってしまったかと落ち込んでいましたが、どうやら見舞い禁止令がしかれていたそうです。私としては、お見舞いに来て欲しかったし、現に禁止令を無視してお見舞いに来てくれた二人の記者には、本当に勇気づけられました。振り返ってみたら、全て良きに計らうからと、ほとんど私の気持ちや希望を会社から聞かれることはありませんでした。会社としては好意でやってくれていたのかもしれないけれど、当時の私は蚊帳の外に置かれているようで、繋がりを切望していました。
私の案件は全国放送されたのですが、そのネタを抜いたのが、他社の男性記者でした。他の女性記者から詰められたようで、自分も辛かったと泣いていたそうです。
報道後、私の自宅まで取材に来た女性記者もいました。「わざわざ家まで来ないでほしい」と後日メールをしたら、それから数年間毎年年賀状で謝罪されました。理由は分からないけれど、彼女もすぐに記者を辞めてしまいました。
留守電に励ましのメッセージをくれた他局の男性記者もいました。でも、ほとんどの記者とは音信不通になりました。相手もどう接したらいいか、分からなかったのかもしれません。「うちの女性記者には胸を揉ませてでもネタを取ってこいと教えている。お前は記者として半人前だ」と言う某新聞社のデスクもいました。記者の中でも、セクハラに対する認識はバラバラだったと思います。
そして、一番サポートしてくれた女性記者は、私の案件の1年後、自治体の幹部に性的暴行を受け、同じくPTSDになりました。今は年賀状の交換くらいだけど、昨年の便りにはようやく労災が降りたと書いてありました。私はマスコミから距離を置くことで11年を過ごし、彼女はマスコミの中で闘い続けた10年でした。セクハラを受けた女性記者のその後も、それぞれです。