うなぎ | 彼方へ。。。

彼方へ。。。

心に沈み 澱となりし思い出を  
いま 解き放たん  
     
     
                     



      おかあさん…



      あだすのなかで

      母… 

      ではなく



      おかあさん… 

      このまま

      時が止まっております。。






今、

あだすの実家にいる母は

二人目の母です。




あだすを産んでくれた母は

あだすが中学1年の時に

病気で亡くなりました。



長いこと

心臓を患っていました。






あだすが成人してから

祖母に

聞かされた話です、、、



   『このおなかの子を産めば

    あなた自身の命の保障はできませんよ。』



   『かまいません。

    産みます。

    先生、どうぞよろしくお願いします。』









思い起こせば、、、、




母は

あだすの誕生前から

もう何年もの間

ずっとこの病と闘っていて

一年のほとんどを

病院で過ごしておりました。



年に2、3度、

許可が下り 

母が病院から家に帰ってきた時は

それはそれは嬉しかったものです。



でも、

必ずと言っていい程 発作が起き、

救急車がくる、、、

その度に

また病院へ戻っていくのです、、、




それくらい重い心臓の病でした。




母のこの深刻な病状は、

幼いあだすにとって

恐怖そのものでした。。。









父も祖母も

がむしゃらに働く毎日、、、、

父は仕事柄

日曜日(=おやすみ)など無いにひとしく、

家のことは

祖母がひとりで切り盛りし、

あだすら二人姉妹の母親代わりでありました。



母の入院費用は

おそらく相当なものだったと思われます。



それでも 当時、

食べるもの、着るもの、その他習い事等々、

周りの友達と何ら遜色無く

いや、むしろ、友達以上に

十分に満足させてもらっていたのは、

父と祖母の

なみなみならぬ尽力のお陰に他なりません。








気がつけば、、、、




あだすは 

いつしか

もう、

母の全うした年齢を

超えておりました、、、、





そうした中、

何時からか

ふとした時に、、、、



あの時

こうだったんじゃないか?…

こんな風に思っていたんじゃないか?…



亡き母に

想いを巡らすことが

増えてまいりました。。。








母にとって

なりたくてなったわけじゃない病、、、、



娘たちに

母親として何一つ出来ない、、、、



自分の為に

毎日必死で働き、稼ぐ

夫と姑、、、、、



その申し訳なさ、

辛さ、

自身の不甲斐なさ、、、




病室のベッドの中で

母は

人知れず

枕を濡らしていたのではなかろうか、、、、。









父と祖母が多忙の時、

姉とあだすは

ふたりで

母の見舞いに行っておりました。




母は

あだすらの見舞いを、

いつも

満面の笑みで迎えてくれました。

やつれ果て

頬骨が浮き出た顔を

くしゃくしゃにしながら、、。



今日はだいじょうぶなのかな…



恐ろしく不安になりながらも

おかあさんは

やっぱり

おかあさん。

ワクワクするとても大好きな

大事な

時間でした。



おかあさんは きまって

自販機で買った瓶入りのコーヒー牛乳を

あだすらに握らせ、

幼稚園や学校でのこと、

家でのおとうさんやおばあちゃんのようすに

嬉しそうに耳を傾けるのです。





たまに

体調が良いと、

母は

姉とあだすを

病院の近くにあった鰻屋さんへ連れて行き、

あだす達が大喜びで口に運ぶのを

それはそれは嬉しそうに

眺めていました、、、




幼かったあだすは

母に尋ねたものです、、、



 『おかあさん、食べんと? おいしいよっ?』

 

母はにこにこしながら

きまって

こう言いました。



 『うん^^。 

  おかあさんはおなかいっぱいだから^^。』











入園式も

入学式も

授業参観も

遠足も

運動会も、、、、、



いえ…


日々の

三度三度のごはんさえ、

母といっしょだった思い出は

あだすには

ありません。




唯一、

不安から解き放たれ

母といっしょに笑い合った思い出、、、

それは

この

鰻屋さんでうな丼を食べる時。。









このごろ、

この光景を

よく憶いだすのです。。。。





あだすも

年を経りました。。。。