将来分別が付くようになった時、なるべくならやりたいと思ったことができるような素地を作っておきたい、選択肢を残しておきたい、それが私の子育てにおける軸になっていると思っています。

 

そうはいってもなんでもかんでも小さいころからやらせてみよう、というのではありません。以前にもふれた、「1万時間の法則」だったり、英語の件もそうですが、子供のころの環境が大きく左右することも多くあります。それらのことは「先行投資」と思うことにしました。

 

ところが、考えてみるとわかりますが、私という人間が親をやるのです。私の価値観と偏った経験をもとにその選択がなされるのです。しかも私にはお嬢にもムスコ君にもこうなってほしいと思う姿がありました。大雑把にいえば「たくましく」育ってほしかったのです。野生を駆け回るという意味ではなく、心がたくましく、ちょっとやそっとでは病気にならない健康な体、という意味です。

 

私やダンナ様は日本の社会という枠組みの中でマイノリティに振り分けられることも少なくないことから、結局、「たくましく」そだった子供がどうなるか、について、十分想像を巡らせていなかったと思います。

 

特にお嬢は女の子です。「たくましい」女の子は当然のことながら、マイノリティのようだし、そうなると、一人の人でよいのですが、「奇特な人」が彼女のパートナーとなることになります。ミーハーなお嬢が、ミーハーに恋をして…そこまでは相手の感情はいらないのでよしとしても、そこからお付き合いをし、長く関係する人となると話は違うようです。

 

そう、お付き合いし始めると続かない。この頃は彼氏までにも至らないことが多くなっているようです。

 

親の思う将来の選択肢はまだまだあれど、肝心なところの選択肢はずいぶん狭まってしまっているようです。まあ、男性は「35億…あと5千万」もいるので、お嬢にとっての「一人」は、やがて見つかるのでしょうけど、今この年になったお嬢を見ていると一抹の不安が残ります。

 

だからと言って今のお嬢の人間性を私は愛らしいと思うし、信用にたる人だと思うので、後悔はしていないのです。ただ、お嬢には、あきらめずにお嬢のパートナーとなる人を探してほしいと思います。

 

数年後このブログを笑って読んでいることができますように。