ご無沙汰です。





しばらくブログから遠ざかっていました。






いろいろな事情があったからです。











そこのアナタ、、、
もうこのブログは更新しないと思ってたでしょ。







うん、思ってた。


絶対みんな続かないと思ってたでしょ。









舞い戻ってきましたよ、不死鳥のごとく。







1.5ヶ月目の記事で終わってしまうのは中途半端になると思いましてね、、










、、、え?



側弯症のブログは他にも沢山あるから
更新しなくても大丈夫だって?





しかも他のブログは素敵なものばかり
だって?






ランチのブログ遅えしー
もういいよー

だって?










ははーん、さては私のブログを熟読されていない方のようですな。










時を経て熟した頃に楽しめる(まるでワインのような)ブログだとお考え下さい。







私のブログは


①側弯患者の情報共有ツールとしての活用


②思春期から成人に、そして中年へと過ぎゆく過程での心の変化と葛藤を記載する


③レントゲン写真や私自身の身体の写真を含めた個人情報を一切公開せず、文章のみの簡潔な説明で共感を得る






この3つの柱で構成されている。






始めから読んでいただいている方は
勿論全て承知のことだと思うが、

このブログは医療機関の配慮に則った、科学的で健全な内容しか載せていない。






下品で野蛮な情報は一切出てこない

非常に崇高なものである。








誰かの役に立つ情報しか載せないのは
揺るぎない私のポリシーだ。









では上記のことを踏まえた上で、、
これからの私の話しを聞いていただきたい。





















術後2ヶ月経過した頃、、

私はホット便座に座りながら

悶々と欲求不満と戦っていた。








私と子どもらの世話に疲れた母は実家に帰っていき、1人の時間が増えた。





血が繋がっていても、母と暮らすことに苦痛を感じていた頃のことだった。





おそらく母も私と一緒にいることが辛かったことだろう。





あんなに私を助けてくれたのに、、
自分でも酷い話だと思う。




勿論、理由はある。


だけれど かなりダークな話しだし、
幼少期のことを説明しないといけないので
この件は省略させていただく。







術後1ヶ月頃と比べたら横になっている時間も短くなり、少し休憩しながらも家事をこなせるようになった。





状態も日に日に良くなり、代謝のコントロールが不安定だった頃に比べたら余裕もでてきた。



術前の体力がMAX100なら
今は40くらいになっていた。

ちなみに術後1週間の体力は5で
退院した時は20くらい






疲れたらソファーに横になって
月曜から夜更かし か ほんまでっかTVを見た。





そんなひと時にふと思う。





あ、アルコール飲みたい。






久しぶりの感覚だった。





◯◯したいという気持ちが湧いたのは
いつぶりだったか思い出せない。








入院前に大切な人が去っていった時


もう自分を支えるのは自分だけで

子どもらを支えるのも自分だけで


もう贅沢なことをしてはいけないような

何かを望んではいけないような

未来に期待してはいけないような



ちょっとした希望さえ失くしてしまった。




私に残っていたのは『使命感』だけだった。




しっかりしろと



手術した後も2人を育てていくのは
私だけなんだぞと



旦那さんを思い続けることは
今必要なことじゃないんだぞと。





だからずっと、自分のやりたいという気持ちに蓋をしてきたのだろう。




思い立ったその日にスーパーへ行き
缶チューハイを2つ買った。




夕方になったら子どもらを迎えに行き

それから夕飯を作った。




コルセットをしていると、身体が安定していて安心できる。



車の運転も家事も、休憩をちょいちょい挟みながら行っていた。







その夜の出来事は今でも忘れられない。










私は、おつまみ料理が多めの夕飯になったなーと思っていた。





子どもたちと席につき、いただきますをした。





缶チューハイのプルタブを開けて、一口飲んでみた。





約3ヶ月ぶりのアルコールの味だった。





あぁーーーーー



炭酸がスッキリするー  



ぷはー!とおっさんのように飲んでいた。






だがしかし、缶の半量を飲んだあたりで
急に身体に異変が起きる。






あーーー


あー


あっ


あれ?れ?



視界が暗くなって、、い、、、





まるで一眼の望遠鏡を覗いているみたいに





周囲が遠退いていった。





やがて中央の丸い景色しか見えなくなり






視界は闇に包まれるようにして






私は倒れた。









「ママ!!!」






子どもたちが叫んでいた。





気持ち悪いとか、ムカムカするとかはなかった。




とにかく視界が悪かった。




立ち上がろうとすると、砂嵐が映っているアナログテレビの画面のように、視界がザーザーと揺れていた。






とりあえず、いつものソファーに横になった。




「ママ大丈夫?」



子どもたちが心配していた。





母は遠方に帰り、家には私と子どもたちだけ。




自力で問題を解決するしかない。





必死に目を開けようとしても
あたりがよく見えない。






私は酒に弱いわけじゃない。




一体どうなってしまったんだ、、。







色々なことがよく理解できなかった。







1時間経ち、2時間経ち、、、




ようやく這うように動けるようになった。






子どもたちをパジャマに着替えさせて、歯磨きをさせた。





私も何とか歯磨きをした
(どんな状況でも歯磨きだけはするタイプ)。





相変わらず視界は揺れるが、次第にゆっくり歩けるようになった。





そのまま寝室に移動して、子どもたちを寝かせた。




時間が経てば回復するだろう。





私は穴へと落っこちるように眠りについた。







冷静に物事を判断してみると



おそらく体内でアルコールを分解できなかったのだろう。




術後の回復が進んでいるとはいえ、まだ機能的な面で上手くいっていない。




私の肝臓はアルコールを処理できないのか。




残念だし、危険だ、、、と朝目覚めて思った。






体力が70以上になるまでアルコールはやめておこうと決めた。








酒を飲みたくても飲めない。




お腹もあまり空かないし



沢山食べることもできない。




薬を飲まないと眠ることもできない。








不満だよ不満!







欲求不満!!






やりたいことがあっても満足にできないぜ!







人間の三大欲求と言われる



食欲・睡眠欲・性欲




まさかの側弯症の影響でうまくいかないとは。


























困ったことになったもんだ。



(ちなみに性欲に関しては湧いてこない上に相手もいない、、、悲しい)













そして術後3ヶ月、、、




私は弁護士事務所に訪れていた。





しばらくの間座っていなければならないが、
コルセットの助けもあり、そんなに辛くない。





弁護士先生のもとを訪れていた理由はご想像通りだが、今回は省略します。



また後日。










そして数日後、3ヶ月検診を受けた。




異常なし!


バッチリだね!




ランチ「じゃあコルセットは(とっていい)?」




Y氏「安全の為、あと3ヶ月はつけましょう。」



























ランチ「、、、そんなまさか。」















気持ちのいい春の日差しを浴びて、
私はY氏からショッキングな言葉を告げられた。








安全の為、、、暑苦しいコルセット君と、、



あと3ヶ月は一心同体、、、










Y氏「だけど1ヶ月後に仕事復帰はOKだよ。」








お!やったね!




無事仕事復帰できるように準備をせねば!






そして私は新たなステージへと進もうとしていた。












(ちなみに性欲は仕事復帰と同時に回復し、増大していきます。、、いらない情報だったかな?)