マンマのブログ

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東京・新橋にあるイタリアン・レストラン「ラ・マンマ」店主のブログです

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15年前スタートした三木会。

 

その時の最年少でも定年後、ですから、10年たてば、70歳。最年長にいたっては、80歳超え、となります。

 

その間、メンバーのお一人を天国へお見送りしました。

 

又、他のメンバーの方も、糖尿、腰の手術、癌、奥様の介護、etc.

 

老後の様々な問題と戦っていらっしゃいました。

 

それでも、集まれば元気に話し、食べ、飲み、

 

あ、問題をかかえていることが不幸ではないんだな、問題はあくまで問題であって、心の幸せとは別のものだ、とわかりました。

 

2014年、松井が独立のため辞めた後も三木会は続きます。

 

年々、皆様、問題が増え、お一人は全く目が見えなくなったので、奥様に連れられて、集まるようになりました。

 

N氏はお医者様の家系で、お兄様は実際九州で開業されています。

そのこともあって、医学に関しては博識で、メンバーの方々の相談役になっていました。

 

天国へお見送りした方の話題になると、

 

 

次は誰かな?

 

という話で盛り上がり(笑)

 

やっぱり、最後の一人はNだろう!

 

Nなら一人でも来るぞ。

 

しぶといからな、Nは!

 

アーハッハ(全員が大爆笑)

 

実際、N氏は、糖尿をお持ちでしたが、通院し、しっかりコントロールされていました。

 

足腰は丈夫、癌にもならず、お食事の量は減ってきましたが、ワインは変わらず召し上がります。

 

ただ、お話しされる時、次の言葉が出るまでに、時間がかかるようになっていらっしゃいました。

 

もし、N氏に何かあるとしたら、血管系かなぁ、と、個人的には心配しておりました。

 

 

 

2015年の半ばを過ぎたあたりから、集まりが悪くなります。

 

メンバーの方に、「故障」が目立つようになりました。

 

これまで笑い話だった「次は誰?」が、真実味を帯びてくるのです。

 

もう、誰も、その話題はなさらなくなりました。

 

 

2016年になり、目がみえなくなったメンバーの方が、いよいよ、新橋まで出てこられることが、不便になってきます。移動もできれば車椅子でしたいが、うちの階段がネックとなります。

 

奥様も来られることで、男の会の三木会と、又奥様ご本人との両方が息苦しくもなってきました。

 

11月のヌーヴォーの第三木曜日を最後に、La Mammaでの三木会は終了。この後は、目の見えないメンバーの方のお宅の最寄のお店で開催する、ということになったのです。

 

奥様はそのお店まで車椅子で連れて、会が終わる頃迎えに行く。

 

双方、全く気兼ねがなくなります。

 

合理的な判断ですよね。

 

 

・・・と、頭では理解していても、三木会のなくなった毎月は、私にとって、とても寂しく感じました。

 

思っていた以上の喪失感です。

 

 

どうしてるかなぁ、みんな、元気かなぁ、と思いをはせるも、私自身、日々をやりくりすることに追いかけられて、次第に、N氏のことが、薄くなっていきました。

 

まあ、N氏は大丈夫だろう、

 

そんな感じです。

 

ところが、去年のヌーヴォーの解禁日、N氏から連絡がこないことに、一瞬、違和感を感じます。

 

三木会に頼らずも、N氏はヌーヴォー解禁を楽しみにしており、それこそ、一人でも来たい、という方だからです。

並びのカーヴ・ド・リラックスで買って、試飲して、さらにうちのヌーヴォーを飲み比べる、それが、N氏の11月第三木曜の過ごし方だからです。

 

電話してみようかな、と、よぎったのですが、

 

何故か、気が引けて、

 

かけずじまい。

 

 

そして、1月15日の留守電メッセージです。

 

お知らせくださったメンバーの方も、歩けず、しばらく三木会から遠ざかっていらっしゃいましたが、N氏の訃報は、どうしても、私に伝えなければ、とおっしゃってくださり、

 

 

「我々は、お宅に通うことが、本当に楽しみだった。世話になった。世話になった人に伝えることが礼儀だと思った。」

 

私は、告別式が済んだ後、ご自宅にお手紙とお花をお送りする、と申しますと、

 

「うん。それがいい。さすがだね。」と、ほめてくださいました。

 

 

車にぶつけられて、足を骨折され、病院へ行ったら、なんと肺癌が見つかったというのです。

 

東大病院で、末期で手の施しようがない、と。

 

だとしたら、辛い抗がん剤治療も受けなくて済んだかな、

 

それに、

 

記憶が正しければ、午年で、今年は88歳。ここ1~2年で、急速に癌細胞が増えることは考えにくいし、おめにかかっていた時、肺癌の症状なんて、なに一つなかったし、

 

もし、骨折さえしなければ、ずっと気づかず、

 

ある日、奥様が、「お父さん、朝ですよ」と起こしに行ったら、帰らぬ人となっていた・・・ということもありえたんですよね。

 

解剖、なんてなかなかしないから、死因は「心不全」となるはずです。

 

だとしたら、大往生!じゃないですか!

 

 

やっぱり、N氏は、ただ者じゃない。

 

ご逝去が13日。

 

今年の年賀状には、N氏の大好きだったバローロが絵になっているのですが、見てもらえたかな。

 

 

ご存命中に返せなかった、溢れるほどの感謝は、これから、お客様へは勿論、スタッフに返していこうと思います。

 

 

そして、私自身のこれからの人生において、しっかり楽しみ、しっかり愛し、しっかり喜び、生まれたことへたくさんの感謝をして、あの世に、ちゃんと、逝けるように、毎日を過ごしていこう!

 

と、あらためて、覚悟をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三木会は、賛否両論!?

 

全ての方が、60歳以上、という、毎月第三木曜日の宴は、他のお客様からは、賛否両論いただきました。

 

皆様、耳が遠い、ということもあって、

 

 

「声がデカイ!」

 

 

ビジュアルは、the 老人

 

 

大方、二つのご意見に分かれました。

 

ひとつは、

 

せっかく、イタリアンを楽しもうと来たのに、うるさいし、あんなおじいちゃん達が、「我がもの顔」にふるまってるなんて、迷惑だし、なんか、雰囲気壊されちゃう・・・。

 

もうひとつは、

 

あのお歳になっても楽しくされて、羨ましい。

それを、受け入れてくれる店なんですネ。

それなら、自分も、安心して通えますネ。

 

いえね、

 

三木会を受けていた15年間、

 

大変でしたよ。

 

トイレ、流さない人いるし、

 

逆噴射、しちゃう人、いるし。

 

第三木曜は、貸し切り受けられないし、

 

そもそも、三木会は、利益出ないし。

 

正直、悩んだ時期もありました。

 

しかし!

 

私の出した結論は、

 

三木会肯定派を、大事にする!

 

と、いうことでした。

 

静かで、若者ばかりが集まって、雰囲気のいい店なら、このあたりや、足を延ばして銀座まで行けば、腐るほど、あります。

 

私は、

 

うちを大事に思ってくれるお客様を、家族だと思ってますから、その方々を、メッチャ、大事にする!

 

三木会は、利益が出ません。

 

しかし、三木会が、当時の松井へくださった大きな愛情や、N氏が、私を育ててくれた愛情は、瞬間の売り上げなんかには、とうてい、太刀打ちできない、大きなものでした。

 

店が売れてきて、目先の売り上げのために、三木会を排除する、なんて、人間のやることではない。

 

腹を決めたらすっきり!

 

しかも、三木会の料理は、ますますグレードアップしていきます!

 

皆さん、松井の成長を、心から喜んでくださいました!

 

皆さんが、いい料理を食べたい、からじゃないんです。

 

出てくる料理が良くなることで、応援した、松井の成長がわかるから、

喜んでくださったのです!

 

La Mammaと三木会の蜜月は、ずっと続くかと思われました。

 

 

が、

 

 

それを疑うことが、少しずつ、始まっていきました。

 

今夜は、ここで、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

N氏は、九州男児です。

 

すんごく、うるさいんですけど、

 

とっても優しい方でした。

 

三木会が始まって、皆さん、長谷川シェフの料理に舌鼓を打ちます。

 

話も盛り上がり、毎月、それは皆様、楽しみにいらしてくださいました。

 

 

ある時、シェフが長谷川から、松井に代わります。

 

 

そう、今、横浜の鶴見で店をやっている、松井です。

 

 

この時の松井、28歳。

 

まだまだ、のびしろだけの人材でした。

 

 

レパートリーが多くないことも、又、味の構築が未熟なため、

 

一言でいえば、「薄い、コクがない、」料理fだったのです。

 

 

三木会のメンバーが、落胆する雰囲気を醸し出すと、

 

N氏は、松井を、こう、かばいました。

 

「彼はね、和食にいたんじゃよ。今、必死にイタリアンを学んでる。

助けてやろうじゃないか」

 

 

???

 

 

和食なんて、いませんよ!

 

 

性格的にも、和食は、絶対、無理!

 

 

メンバーは、N氏の言葉に、納得して、それからは、なんと、様々なイタリア料理のレシピを持ってきてくれるようになったのです。

 

どこそこの店がおいしいよ、行くべきだよ、とか、たくさんの情報をくださったのです。

 

出された料理には、全く、満足していないにもかかわらず、代金を払っている、お客様が、です。

 

イタリア料理と看板を出している店のシェフが、お客様から、イタリア料理のレシピをもらう・・・

 

松井は、辛かったと思います。

 

その時代の口惜しさ(自分に対しての)があったからこそ、今の、松井が存在するのだと思います。

 

私はと言えば、けっこう、喜んでいました。

 

だって、そうまでしても、うちを使いたいって思ってくれてるんでしょ?

 

メッチャ、感謝です!

 

そんな第三木曜が毎月訪れる度、

 

私とN氏は、

 

まるで、

 

親子のような、

 

そう、

 

ある種の、絆が、結ばれていきました。

 

N氏は、いつも、私のことを、「順ちゃん」と呼んでくれました。

 

 

もぉ~ネ、ホントに、わがままで、うるさくて、手間がかかる!

 

そんなN氏は、いつのまにか、私にとって、とっても大事な存在になっていったのです。

 

そろそろ、お風呂に入らねば、です。

 

この続きは、又、次回。