12度目の台湾旅行 2015年12月18日~20日 2日目その1 日本人が祀られる枋寮郷へ | J'aime・・・

J'aime・・・

私の好きな台湾、五月天、そして宝塚。
好きなものに囲まれた日常の出来事を書き留めていきます。

 2日目、まずはちゃんと朝ご飯を食べましょう。あひる家アヒル顔さんの目の前にある四海豆漿で外帶”(wài dài:お持ち帰り) いたしましょう。 

 台湾で初めての三明治たまごサンド☆

 玉米(トウモロコシ)とハムの三明治。飲み物は、初挑戦の米漿。温かいタイプを選びました。台湾の三明治、とても美味しいです。マヨネーズは甘いと言われてますが、気になりません。そして、この米漿、驚きのおいしさです。ドロ~ッとしたねっとり感といい、甘さもコクも本当に美味しい!!病みつきになりそうです。けれど「米漿」って何??我不知道知らん。答えは後ほど。

 さて、急ぎましょう!!待ち合わせ場所は、KMRT某站から徒歩数分で行けるらしい某所のロビー(いったいどこやねん)。全てが初めての場所。待ち合わせしているのは、ふとしたご縁で知り合ったSさん。台湾の方です。私のスマホ、台湾ではうまく使えないので、地図はカメラに収め、尚且つ、何度も見なおして頭に入れたつもり。でも、地下の站から地上に上がると、右も左も、西も東も分からない。確実に遅れそうだけど、遅れるわけにはゆきません。「日本人はルーズだ」と思われてはいけない!!メンツにかけても遅れるな!!でも、道がイマイチ分からない。そんな焦りの中、何とか目的の場所に到着。定刻通り?ちょっと遅れた?記憶に残ってないほど慌ててました。

 Sさん、とても親切な方です。今回の旅行に合わせて色んな都合をつけて下さりました。そして時間をかけてわざわざ遠方より高雄にお越しくださったのです。「謝謝」の言葉ではすまされないくらい有難くて感動です。今日は、Sさんのナビゲートで私の行きたかった台湾の彼方南へ連れて行ってもらうのです。

 台湾の道路事情は日本と異なり右側走行。運転席は左、助手席は右。この違和感も台湾へ来た実感のひとつ。カーナビも面白い。注音符號で目的地を入力してゆく。高速道路を南へ進み、台湾で一番南の終点:屏東縣竹田郷まで高雄潮州快速公路を走ります。ふふふ~、ちょっと調べたのさ。そして、BGMは五月天。台湾で五月天を聴きながら、車を走らせる。Sさん、夢をかなえてくれてありがとう泣
 車窓の眺めは、緑の田畑が広がります。台湾南部らしい椰子の木も見えます。日本は、平野の狭さを感じ、何処を走っていても山が迫ってくるような気がします。台湾は九州くらいの大きさなのですが、凄く広さを感じます。青い空と緑の大地がとても清々しいのです。今になって思う台湾の高速道路の不思議。料金システムってどうなってるお金??料金所がなかったのです。そして、サービスエリアはどうなっている?日本と同じように休憩所やお買い物はできるのだろうか?

 Sさんは、何でも教えてくれます。しかも、日本語はとてもお上手。早速、昨日の市内散策での困ったことを尋ねます。夕食で困った問題はすぐに解決です。次からは、裡面用”(lǐ miàn yòng)(店の中で 食べる)でも大丈夫です。それに「我想吃」の場合「我想吃+食べたい物」です。そして、今朝飲んだ「米漿」、これが何であるかも分かりました。花生(ピーナッツ)とお米で作る飲み物だそうです。旅をしながらの台湾華語レッスンは、記憶に残ります。
 高速から一般道へ下りた後も、田畑は続きます。そして、私の行きたかった念願の場所:枋寮 Fāngliáoxiāng ㄈㄤㄌㄧㄠˊ  ㄒㄧㄤ(※注音符號、頑張ってみました 。郷:ㄒㄧㄤは自信なし)へ。最初に訪れたのは「東龍宮」。威風堂々とした金色の豪華な廟は遠くからでも見えます。この廟の駐車場が分からなかったのですが、目の前の僑德國民小學は、ちょうど運動会。応援の家族に混ざって校内に駐車させてもらいます。これは名案?それとも迷案?


東龍宮(屏東縣枋寮鄉隆山村僑德路199號)
ここには日本の神様が5人も祀られています。
枋寮の廟「東龍宮」 高い天井。本当に来れるとは思っていたので、この現実に驚きと緊張感があります。目の前におられるのは、まぎれもなくお参りしたかった神様。

 Sさんは、廟の職員さんに廟内や5人の神様の解説を頼んでくれました。日本語が喋れない職員さんの通訳はSさん。この展開も夢の様。写真を撮って良いかと尋ねると、神様にお許しをもらえば良いとのことです。
枋寮の廟「東龍宮」 


 枋寮の廟「東龍宮」 左から北川直征神将、良山秋子神将、中心の一段高い所に田中綱常大元帥、中山奇美神将、乃木希典大将軍。「東龍宮」の主神として祀られているは、中央の田中綱常大元帥です。
 ここで大失態をしてしまいました。神様を指差してしまったのです。これは廟では絶対してはいけないこと。すぐに教えてくれたSさん、笑顔で見守ってくれた職員さんに感謝です。でも、恥ずかしい。

北川神将 北川直征神将は、明治維新後初の海外派兵「台湾出兵」に出征した伍長。1874年(明治7年)5月17日、偵察中に敵銃弾を受け戦死されました。 


 良山神将 良山秋子神将。下の写真は中山奇美神将。赤い着物姿のお二人は、従軍看護師として1872年(明治5年)に台湾へ来られたそうです。日本の従軍看護師制度が始まったのは、明治20年代。1890年(明治23年)4月、日本赤十字社看護婦養成所に10名が1期生として入校。養成期間は3年で、卒業後には20年間にわたり応招義務が課せられたそうです。このお二人が渡台したのは、これより以前です。廟の職員さんは、良山秋子神将は18歳の若さでマラリアに罹患し亡くなったと話してくれました。18歳…、愕然となりました。当時の18歳といえば、大人の女性です。けれど、異国の地台湾でどんな思いで過ごされていたのでしょう。きっと怖くて不安だったはず。祖国日本へ帰りたかったでしょう。家族や友にも会いたかったでしょう…。そして、異国で命尽きる時、どんな思いだったのでしょう。そう思うと胸が締め付けられます。そんな中でも負傷兵を看護していたのでしょうね。看護に限らず、与えられた役割を遂行するための使命感と責任感…、見失ってはいけない大切なものを再認識しました。来て良かったです。

中将軍大元帥、中山神将 中山奇美神将の左におられるのが海軍の軍服を着た田中綱常大元帥。後の神様の像も田中綱常大元帥です。田中綱常大元帥は、1874(明治7)年に起こった「牡丹江事件」の事前調査から、最終処理に至るまで担当した方。日本では、台湾での活躍よりも、1890(明治23)年、和歌山県串本沖で起きたトルコの軍艦エルトゥールル号の救助と、生存者63名をオスマン帝国(現トルコ)に送った艦長として名が知られています。折しも日本では、日本・トルコ合作映画「海難1890」が上映中(http://www.kainan1890.jp/)。テーマや脚本上、田中綱常大元帥の登場は無いようです。


 乃木将軍 乃木希典大将軍。日本人で乃木将軍のことを知らない人はいないでしょう(若い世代は知らないかも)。私自身、書物を通して乃木将軍を知る前に、「乃木大将」として祖母や両親からその偉業と人格の素晴らしさを聞かされていました。ドイツ帝国へ留学、ドイツ陸軍の全貌を学び、日清戦争や日露戦争で日本を勝利に導いた将軍であると共に、旅順要塞を陥落させた後、敵将ステッセリ将軍の名誉を守る紳士的態度はとても有名です。個人的には、明治天皇崩御と共に殉死され、妻である静子さんがその乃木大将に殉じたというお二人の生き様に、明治の日本精神を感じ、心打たれました。ここを訪れ、疑問だったのは、その乃木大将よりも一段高い所に田中綱常大元帥が鎮座していることです。田中綱常大元帥は、海軍少将で貴族院議員、そして台北縣知事。乃木大将軍は陸軍大将であり男爵として華族に列された方。第3代台湾総統でもあります。日本や台湾での地位や階級、知名度においても明らかに田中綱常大元帥より上位です。何故??という疑問が湧きます。廟の方は、ちゃんと説明してくれます。「人間としてその地位や階級がどうであったかというより、神様としてどうであったか大事。そのことが神様の階級を決めるのです」ということです。とても良く分かります。これは、通訳してくれたSさんの知識の豊富さ、日本語の堪能さの賜物でもあります。本当にありがたいです。
※日本のアイドルグループ「乃木坂46」の名前の由来は、乃木将軍に関係しています。乃木将軍の殉死を悼み、「幽霊坂」、「行合坂」、「膝折坂」と呼ばれていた場所を「乃木坂」に改名。「乃木坂46」の最終オーディション会場として使用された「SME乃木坂ビル」はこの乃木坂にあります。(この事実、中国や韓国の乃木坂46ファンにとっては批判材料になるようです)


祀られている神様のお名前は、きちんと掲示されています。 

枋寮の廟「東龍宮」

 

廟には大きな軍艦の彫刻もあります。
 枋寮の廟「東龍宮」 日本の軍艦を作りたかったそうですが、資金が集まらず、中国の軍艦を奉納しているそうです。旗や乗船している人もすべて中国仕様。これもすべて日本に変えたいと説明くださいました。資金が必要なんです、資金が。

 枋寮の廟「東龍宮」 入り口には鶴が描かれています。日本の国を代表する鳥のひとつが鶴です。冬鳥というイメージの鶴を台湾南部の枋寮で見れるなんて驚きです。日本を大切にしてくださっている枋寮の方に感謝です。とても有難く嬉しいです。

 今回、初めてお供え物をして参拝しました。金紙と呼ばれる神様に捧げるお金も初めて手に取りました。独特の手触り、金紙に描かれた赤い文字や模様の神秘さ。今まで神様の住む世界のことを考えたことはありませんでした。台湾人が神様を敬い、信仰を大切にしていることが伝わります。お祈りをした後、この金紙は炉で燃やします。お祈りや願い事は、 燃やした時に出る煙になり、天上の神様に届くそうです。  
 枋寮の廟「東龍宮」 私の祈りと願いが神様に届きますように。神様を身近に感じることが出来た様な気がします。

 東龍宮に祀られている5人の日本の神様。台湾の方がとても大切にしてくださってます。案内して下さった廟の職員さんは、終始優しい笑顔で接して下さいました。物腰の柔らかい白髪の男性でした。この職員さんからも台湾人の信仰心の深さ、優しさ、親切さを感じます。多くの方に訪れて欲しい場所です。この方から聞いたのですが、将来は田中綱常大元帥はじめ、5人の神様の博物館を建てたいそうです。ただ、資金難だそうです。みなさん、やっぱりお参りに行くしかないですね。皆さんからの愛の寄付金、よろしくお願いします。

 さて、駐車場に戻ります。といっても、僑德國民小學です。廟と僑德國民小學のある僑德路には市が立ってます。土曜日だからでしょうか?洋服や靴などを売るお店がたくさん並んでいます。市が立って狭くなった道を、二人乗り、更には三人乗りのバイクが走ってゆきます。お母さんがバイクに乗り、その前と後ろに子供が乗る。日本ではありえない光景です。台湾女性、強し!!

 僑德國民小學、どうやら運動会をしているようなので、ちょっと覗いてみました。初めて入る台湾の小学校。凄く嬉しい。そしてワクワクする

僑徳國小

 

校舎は日本の小学校と同じように感じます。
  校庭に出るまでに通った職員室も日本と同じ、開いた入口から中が見えました。机の上がグチャグチャです。これも日本の先生の机と同じか~。


「台湾で何処へ行きたい?」 「何をしたい?」と聞かれた時、「台湾の日常を見てみたい」と答えられたら質問した側は困ると思うのですが、こんな光景が見てみたかったのです。 

 


もう可愛すぎる~
 僑徳國小 よ~い どん運動会

 僑徳國小 一生懸命に走る子、後ろの子が気になる子、どの国も子供たちの姿はとても可愛い。一生懸命に応援する親御さんの姿も同じです。我が子が一番!!(笑)。


 枋寮とはこれでお別れ。さらに南を目指します。台湾の省道:台1線を南へ南へ走ります。
右手に広がるのは南海(南シナ海)。
 こんな海を台湾で見たかった

 

海風は強く波が立ちます。そんな中、海上には、一艘のボートが波しぶきを上げて走ります。
 

青い海。空には白い雲。
 海と空の彼方、海平線(hǎi píng xiàn )。「海平線」は五月天「諾亞小舟」の中で出てくる単語。しかし、すぐに言えなかった~。


深さや地形によってその色を変える海。 

 
 
 この美しさをどう表現したらよいのでしょう。空色、水色、露草色、紺碧色、群青色、露草色、コバルトブルー、マリンブルー、知ってる「青」の単語を並べてみても表現しきれません。色だけでなく、キラキラ光る陽光や、空気の透明感、そして風と波の音。五感に伝わる素晴らしい光景が広がります。その光景はずっと続くのです。これこそ私が見たかった台湾の絶景。地球儀や地図に描かれる台湾、周囲を海に囲まれた台湾の光景なのです。

 旅はまだまだ始まったばかり。さぁ、もっと南へ行きましょう。

続きは、次回に…

今回は、おまけ付き!
 Sさんに教えてもらった単語の覚え方のコツ
「風」(fēng
「楓」(fēng
良く似た文字で読み方は同じ。「風」(fēng)の左側(左邊)に「木」(木偏:きへん)がくると「楓」という字。そして中国語読みは「風」とおなじ「fēng」。分かります??つまり、その漢字の旁(つくり)にくる文字の読み方が、その文字そのものの読み方になるケースが往々にしてあるのです。「風」(fēng)の読み方を知っていれば、おのずから「楓」(fēng)も読めるのです。
確か、この内容であってるはず…

台1線の終点の地「楓港」の標識を見るとこのことを思い出します。


では…。