夏休みにウズベキスタン、タジキスタンを旅行しました。

 

この旅行では、仏教遺跡やアレキサンダー大王のゆかりの地と歴史の旅です。

 

前回のダルヴェルジン・テパにつづき、今回は加藤ハウスを紹介します。

 

今は亡くなれていますが、加藤先生の家が見学できます。

 

名前は加藤 九祚(かとう きゅうぞう)でウズベキスタンで最も有名で、最も尊敬されている方です。

 

なぜ有名かといいますと、小学校6年生の公民の教科書に載せられているから。

 

教科書の抜粋です。

 

はるばる日本がやってきて・・・考古学的発掘に従事している加藤九祚氏について聞いたことがあるかもしれない。彼の犠牲的精神に富む、広範な知識は、われわれの歴史全体や古代の遺跡のみならず、文化的・精神的遺産にも深い理解を示している。・・・実り多い成果をあげたことにより、ウズベキスタン共和国大統領令に基づいて「友好」勲章をさずけられた。・・・

(最後に)

「ウズベクの人びともまた、彼を敬愛するがゆえに「ドラム=先生」とよんでいる。

 

これほど詳しく書かれていることは日本人としてとても嬉しいですね。

 

 

偉大な方でいろいろな功績がありますが、簡単に人生年表を説明します。

1922年、朝鮮慶尚北道生まれ、鉄工所工員・小学校代用教員を経て、上智大学予科入学。
1944年、応召し、満洲へ出征。
1945年、ソ連軍に捕らえられ、シベリア抑留。
1950年、帰国、1953年に上智大学文学部独文科卒業、平凡社入社。
1963年、最初の著作『シベリアの歴史』を刊行。
1975年、国立民族学博物館教授。
1986年、民博退官後、相愛大学教授、創価大学教授。
1998年、ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同で、テルメズで発掘開始
2002年、ウズベキスタン政府より「ドストリク」(友好)勲章、テルメズ市より「名誉市民」
2016年、発掘調査中に倒れ、テルメズの病院で死去。享年94

 

彼の偉大なところは、ロシアに捕虜になったときでも、前向きな心持ちで、1年でロシア語を習得。

 

また、65歳で「人生に、もう遅いはありません。老いは免れませんが、好奇心は抑えられなかった」と、ウズベキスタンのテルメズで考古学の世界へ。

開始から4日で発掘に成功。強運の持ち主。

 

有名な「三蔵法師」は中国からテルメズを経てインドにわたり、仏教の経典を中国に持ちかえりました。

その経典は、後々日本に伝わって、今の仏教となります。

加藤先生は、三蔵法師の巡った数々の仏教遺跡を見つけ、仏教のルーツに光をあてた先駆者です。

 

では加藤先生の家を紹介します。

家には「加藤の家」と表示されています。

 

ここは土地が広く、畑や池があります。

 

 

案内をしてくれたガイドさん。

 

 

加藤先生が使っていた給湯器。今は使われていません。

家に給湯器がなかったため、冬はここと家の移動は寒かったと先生は言われてました。

 

上の入口。

 

加藤先生。

 

加藤先生は創価大学とウズベキスタンの調査団と発掘調査をしていました。

 

加藤先生のおかげで、貴重な発掘品が日本で何度も公開されました。

 

発掘品の一部が置かれていました。

 

加藤ハウスの裏手に小学校があり、そこに展示室が併設されています。

加藤先生と大統領のツーショットとダルヴェルジン・テパの模型。

 

ダルヴェルジン・テパで発掘された36kgの黄金製品。

 

シルクロード。中央にテルメズ(TERMEZ)があります。

テルメズはインドと中央アジアの十字路です。

 

次回はテルメズから加藤の家までの移動中での写真を紹介します。

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