夏休みにウズベキスタン、タジキスタンを旅行しました。
この旅行では、仏教遺跡やアレキサンダー大王のゆかりの地と歴史の旅です。
今回はウズベキスタン旅行一日目のテルメズを紹介します。
タシケント前泊し、いざ、本旅行のメイン観光地”テルメズ”へ
タシケントからテルメズに空路で行くには一度タジキスタン上空を通ります。
あの山脈の向こうがタジキスタン。
この山脈は天山山脈につながるもので、標高は3400~4500mくらいあります。
テルメズはクシャーナ朝(1~3世紀)で、仏教の盛んで、中央アジアの仏教普及センターとsて、仏教遺跡が多く残っています。
唐僧玄奘がテルメズを訪問し、『大唐西域記』では「呾蜜」の漢字をあてて、伽藍が十余箇所あることを伝えています。
7世紀以降アラブの進入でイスラム教の中心地となり、13世紀にモンゴルによって破壊されましたが、ティムールの師であり哲学者であったSaid Barakaはこの町の出身であり、ティムールの治世には繁栄を極めました。
テルメズの最初の観光はテルメズ考古学博物館です。
テルメズ建都2500年祭りに併せて、2002年に完成しました。
入口をはいると正面奥の風景です。城門があります。
その城門の入口には円形のものが。
これは”バフショー”というアムダリヤの神で、右手には賢さを示す”杖”を、左手に魚を持っています。
アムダリヤの傍に住んでいれば、食べ物に困らないことをあわしているとのこと。
中央アジアを中心としたシルクロード。赤丸がテルメズ。
テルメズからアムダリヤ川を渡るとアフガニスタン。
近くに、アルカイダに爆破されたバーミヤン遺跡があります。
テルメズの拡大した模型です。
アレキサンダー大王はウズベキスタンへの東征ではこのあたりを渡ったという説があります。
以下展示品です。
灰岩 人物とライオンの浮彫
上から順に
1層目は格子状の文様
2層目は交互にアカンサス(ハアザミ)とトリグリフ(トリグリュフォス)
3層目はアーチ形の下に、左を向いた人物
4層目は交互にアカンサスの葉とライオンの頭部
2Fの展示室へ。
みなさん、ウズベキスタンで一番有名な日本人は誰だと思われますか?
答えは次の方。
名前は加藤 九祚(かとう きゅうぞう)
なぜ有名かといいますと、小学校6年生の公民の教科書に載せられているから。
その抜粋です。
はるばる日本がやってきて・・・考古学的発掘に従事している加藤九祚氏について聞いたことがあるかもしれない。彼の犠牲的精神に富む、広範な知識は、われわれの歴史全体や古代の遺跡のみならず、文化的・精神的遺産にも深い理解を示している。・・・実り多い成果をあげたことにより、ウズベキスタン共和国大統領令に基づいて「友好」勲章をさずけられた。・・・
(最後に)
「ウズベクの人びともまた、彼を敬愛するがゆえに「ドラム=先生」とよんでいる。
これほど詳しく書かれていることは日本人としてとても嬉しいですね。
偉大な方でいろいろな功績がありますが、簡単に人生年表を説明します。
1922年、朝鮮慶尚北道生まれ、鉄工所工員・小学校代用教員を経て、上智大学予科入学。
1944年、応召し、満洲へ出征。
1945年、ソ連軍に捕らえられ、シベリア抑留。
1950年、帰国、1953年に上智大学文学部独文科卒業、平凡社入社。
1963年、最初の著作『シベリアの歴史』を刊行。
1975年、国立民族学博物館教授。
1986年、民博退官後、相愛大学教授、創価大学教授。
1998年、ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同で、テルメズで発掘開始
2002年、ウズベキスタン政府より「ドストリク」(友好)勲章、テルメズ市より「名誉市民」
2016年、発掘調査中に倒れ、テルメズの病院で死去。享年94
彼の偉大なところは、ロシアに捕虜になったときでも、前向きな心持ちで、1年でロシア語を習得。
また、65歳で「人生に、もう遅いはありません。老いは免れませんが、好奇心は抑えられなかった」と、ウズベキスタンのテルメズで考古学の世界へ。
開始から4日で発掘に成功。強運の持ち主。
有名な「三蔵法師」は中国からテルメズを経てインドにわたり、仏教の経典を中国に持ちかえりました。
その経典は、後々日本に伝わって、今の仏教となります。
加藤先生は、三蔵法師の巡った数々の仏教遺跡を見つけ、仏教のルーツに光をあてた先駆者です。
ちなみに台湾では一番の有名人は誰でしょうjか?
八田與一(はったよいち)。この方も台湾に偉大な貢献をしているため、教科書に。
加藤先生の展示コーナー。
先生の著書です。
文書などの封に蠟にしたの印をおしました。
ダルヴェルジン・テパの金持ちの家。
カンプル・テパ(BS3C~AD2C)の模型
カンプル・テパのお金持ちの家。
9~14Cの市場。
テルメズにあるズルマラ・ストゥーパ(仏塔)。
2世紀に建てられ、中央アジア最大級の高さ。現在は16mほど。
仏塔と僧院はセットですが、まだ僧院が発見されていないです。
仏塔の大きさからして、貴重な発見ができると予想され、去年、立正大学も発掘にきています。
次回は、長年、封印されてきた「カラテパ」遺跡を紹介いたします。
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ブータンの光と影シリーズ ~ブータンは本当に幸せか?~
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