今回はユダヤ教の聖地”嘆きの壁”を紹介させていただきます。
まず嘆きの壁についてエルサレム旧市街の中心となる「神殿の丘」の歴史から説明いたします。
神殿の丘の歴史は次のとおりです。
①紀元前2000年頃、イサクの燔祭
ユダヤ教の経典「 タナハ」にイサクの燔祭(イサクのはんさい)という物語があり、ユダヤ人の祖先であるアブラハムが神に信仰心を試される話があります。
その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、神によって命じられるというものでした。
アブラハムは悩みますが、モリヤの丘の上の岩(現在、基礎石と呼ばれています)に息子を横たわらせ、刃物で殺そうとします。
すると、「お前の神への信仰心はわかったから、もう殺さなくて良い」という声が聞こえ、アブラハムは息子の代わりに羊を捧げ、丘を降りていきます。
②紀元前10世紀頃、ソロモン王によりエルサレム神殿(第一神殿)が建立
③紀元前587年、バビロニアにより神殿は破壊
④紀元前516年、第二神殿が再建(ペルシャ帝国キュロス2世が再建設が有力)
⑤紀元前20年(19年?)、ヘロデ大王は第二神殿の修繕・拡張工事(ヘロデ神殿)
⑥西暦70年、ローマ帝国によりエルサレム攻囲戦で神殿は破壊され、神殿を囲む西側のみ残る
残された城壁に神殿の破壊を嘆き悲しむため、「嘆きの壁」と呼ばれるようになり、ユダヤ教の聖地となっています。
次から写真で、嘆きの壁を紹介いたします。
嘆きの壁の近くで、笑顔がかわいい子に会いました。
嘆きの壁です。木で仕切られた奥が男性、手前が女性で男女を分けています。
女性は男性側をみようと椅子の上にのって、のぞいています。
奥が嘆きの壁ですが、ここで「キッパ」と呼ばれる帽子を借りてかぶります。
空中にある歩道は観光用です。この入口で入場料を支払い、ボディチェックと持込物チェックを受けます。
隙間にたくさんの紙が差し込まれています。
これは紙に願い事を書いて嘆きの壁にいれると願いがかなうとのことです。
下の黒服の人は超正統派(ハレディーム)と呼ばれ、ユダヤ教のイメージが強いですね。
でもハレディームのユダヤ教成人割合は10%未満と少数派です。
嘆きの壁の左端に、昔、神殿の丘と町をつなぐアーチの石段があったようで、発見者に因んでウィルソン・アーチと呼ばれています。
そのウィルソン・アーチに入ると祈祷所があります。
嘆きの壁を背にして撮影。
嘆きの壁近くに警察署があります。
次回はエルサレムのオリーブ山について紹介させていただきます。
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