今回はユダヤ教・キリスト教・イスラム教(イスラーム)の聖地であるエルサレムの神殿の丘「ハル・ハバイト」を紹介させていただきます。

 

神殿の丘の歴史は次のとおりです。
①紀元前2000年頃、イサクの燔祭
ユダヤ教の経典「 タナハ」にイサクの燔祭(イサクのはんさい)という物語があり、ユダヤ人の祖先であるアブラハムが神に信仰心を試される話があります。
その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、神によって命じられるというものでした。
アブラハムは悩みますが、モリヤの丘の上の岩(現在、基礎石と呼ばれています)に息子を横たわらせ、刃物で殺そうとします。
すると、「お前の神への信仰心はわかったから、もう殺さなくて良い」という声が聞こえ、アブラハムは息子の代わりに羊を捧げ、丘を降りていきます。

 

②紀元前10世紀頃、ソロモン王によりエルサレム神殿(第一神殿)が建立

 

③紀元前587年、バビロニアにより神殿は破壊

 

④紀元前516年、第二神殿が再建(ペルシャ帝国キュロス2世が再建設が有力)

 

⑤紀元前20年(19年?)、ヘロデ大王は第二神殿の修繕・拡張工事(ヘロデ神殿)

 

⑥西暦30年、イエスが処刑されたとき、神殿の至聖所の幕が真っぷたつに切り裂かれる(マタイ27:51)

 

⑦西暦70年、ローマ帝国によりエルサレム攻囲戦で神殿は破壊され、神殿を囲む西側のみ残る(現在、嘆きの壁と呼ばれる)

 

⑧西暦632年、イスラム教開祖ムハンマドは、メッカから天使に連れらててエルサレムの「聖なる岩」(イサクの燔祭の岩)の上に手をついて、そこから天馬に乗って昇天

 

⑨西暦691年(690年?)、ウマイヤ朝カリフ・アブドゥル・マリクによって岩のドームが建立

 

⑩西暦710年(715年?)、ワリード1世がアル=アクサー・モスクを建立

 

⑪西暦1522年、オスマン朝スレイマン大帝が岩のドームにペルシャ製ブルータイルを貼り付け

 

⑫西暦1964年、鉛板だったドームを金メッキのアルミ板で装飾

 

以上の歴史からユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地となりました。
・ユダヤ教・・・上記①~⑤、⑦
・キリスト教・・・上記⑥
・イスラーム・・・上記⑧~⑩

 

次から写真で神殿の丘を紹介いたします。

旧市街のランドマーク「岩のドーム」

 

 

アル・アクサー・モスクです。アル・アクサーはコーランで「遥かなる礼拝堂」と記された言葉。

 

アル・アクサーモスクの横にあるミナレット。

 

礼拝前にムスリムが体を清めた沐浴場。

 

 

ペルシャで造られたタイルはとても綺麗です音譜

 

 

 

観光客が少なく、ゆっくり見られましたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほんとタイルは芸術品ですね音譜

 

 

 

 

神殿の丘にいたネコちゃん猫

 

次回はユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を紹介させていただきます。

 

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