こんにちは〜
先日、沖縄は那覇市の港から
慶良間のポイントまで
船に揺られて行って来ました
その時のブログはこちら👇
慶良間の海の様子を動画をに収めたので
貼り付けてみました
当日は魚影が少なかったように思いますが、
慶良間ブルーの海の中を
ぜひご覧になってくださいね
Amebaのシステム上
動画は1分しか貼り付けられないのが残念
せめて3分くらいあればなぁ〜
それと今回はウェットスーツで
シュノーケリングを楽しんだので
ウレタンでできたウェットスーツは
浮力がものすごい上、
ウエストに重りも付けていなかったため
せいぜい1mくらいしか潜ることができず
潜って撮影したら
もっと珊瑚がはっきり見られるのになぁ
画像は海面から撮影していますので
ちょっと見にくいかもです
⚠️音量に注意
どうでしたか
透明度、綺麗でしょう〜
私自身は今回の体験ダイビングで
10mくらい潜り
クマノミ(ハマクマノミ)も間近で見てきました
旦那さんとの2ショットも
しっかり撮ってもらいました
宮古島の天然記念物である
八重干瀬(やびじ)ほどではありませんが
それでもしっかりと育った
テーブル珊瑚が見られる美しい海でした
ツアー会社から頂いた写真
運が良ければこうして逢えるのですよね
いい歳していまだ
海が大好きな私
今回は家に2つあるSUBLUE(発売元セキド)を
絶対に持っていくぞと
JetStarの預け荷物も
わざわざ大きなスーツケース2個を
預けられるチケットを購入したのに
先週は最高気温が22度、
最低気温に関してはなんと14度だったかな?(笑)
出発前日になって
SUBLUEを持って行くことを諦めました
宿泊ホテルのEXESは
プライベートビーチの海開きが何処よりもより早く
実際泳いでる家族がいましたが
監視員のいるネットの内側を泳ぐのは
私にはどうしても邪道に思えてしまう
(人間が地引網の中で泳いでるイメージなんですもん)
人のいない深場の海で
SUBLUEで泳ぐつもりでしたが
22度は寒すぎるっしょ(笑)
(実際の気温は日中は26度まで上昇していましたが)
と言うことで
ウエットスーツをが借りられて
綺麗な海が見られる慶良間半日ツアーに
急遽参加することにしたのでした
とにかく夫婦で海が大好きです
1年半前の沖縄では
シュノーケリングでお魚さんたちに
パンをあげて遊びました
その時のブログはこちら👇
2018年の15年ぶりのハワイオアフでは
ハナウマベイで、
さぁ〜これからシュノーケリングだ
と、2人で波打ち際で
水中眼鏡を洗っていたその時
私たちの目の前になんと
海から海獣が上がって来ましてね
その海獣が可愛い珍客さんで(笑)
それはなんと「ハワイアンモンクシール」
しかも海からひょっこりはん笑笑
その時出会ったモンクシールがこの子👇
まだ
いやいやいや
こんなことってある〜??(笑)
その時のブログはこちら👇
そりゃ向こうもびっくりしたでしょうけど、
突然目の前に現れた珍客に
一番驚いたのは私たち夫婦の方でした
しかも驚くのはまだ早いのです(笑)
さらに遡ること2日前、
ナナクリビーチでは実はこんな出会いもありました👇
⚠️音量に注意
なんと2頭の親子の
ハワイアンモンクシールとも出会っていたんです
今はもうすっかり遠い思い出ですが(笑)
こんな貴重な体験は
海があってのお陰ですね
こんなに海が大好きにしてくれたのは
今は亡き私の父のお陰なんです
今日は父との思い出話も
書いてみたいと思います
お時間を許す方は
もう少しお付き合いくださいね
大阪で生まれ育ったにも関わらず
なんでこんなに海が好きなのか
自分でもそれは昔からよく思ったことでした
よく一緒に海へ行った友人からは
大阪育ちなんて信じられへん
絶対に田舎育ちやろ
とも言われたものです
今でも時々65歳くらいになったら
海女さんを募集してる漁業組合がある村に引っ越し
海女さんで生計を立てるのも良いなと(爆)
いや、これ結構真剣な話なんですよ
海といえば小さな頃から
岩場でしか泳がせてもらえなかったので
気が付けばいつしか
水着が砂だらけになる砂地のビーチより
綺麗な魚が戯れ貝が獲れる
岩場が大好きな娘に育ちました
遥か40年くらい前のお話ですけど!
これには本当に父の影響が大きくて
海ではいつも父の後を追いかけて泳いでいました
5歳の頃、
父が大きなマイクロバスを貸し切って運転し
大勢で海へ行き
テントを張って飯盒炊飯にバーベキュー
真っ黒に焼けた当時の写真が
たくさん残っています(笑)
7歳の時には
大阪からさんふらわぁで九州へ
1週間かけて親子5人で九州全土を旅しました
今みたいにナビがない時代
父は毎年春ごろになると
決まって冊子の日本地図と
エリア分けされたら地方の紙の地図を広げて
「さぁ◯◯◯、今年の夏は何処へ行こうか」
と言うのがお決まりでした(笑)
行きたい候補地を決めたら
何処でホテルを取るかのか
はたまた旅館にするのか民宿にするのか
また目的地までのコース取りや
復路は道を変えて観光も加えてと
今思いだしても
この時の父は少年のように目を輝かせ
生き生きとした表情で
旅のプランニングをしていた姿を
思い出します
こうして考えると今と昔、
紙の地図はナビに変わり
交通機関の車やフェリーが
飛行機に変わっても
父娘、やっていることは全く同じ(笑)
今の私があるのは
きっと亡き父のお陰かもしれません
3人姉妹の中で性格が一番父に似てる私(笑)
天真爛漫なところは間違いなく
大好きな父譲りですし
そして、この歳になってもなお、
あれもやってみたい
これもやってみたいという
好奇心旺盛な性格もきっと父そのもの(笑)
高度成長期の真っ只中だったとはいえ
戦後25年そこそこの話です
まだまだ日本が貧しかった時代に
父には感謝してもしきれません
お父ちゃん、
楽しかった昔が今も私の心の中に
たくさんの思い出となって残ってるよ
本当にありがとうね〜
いや〜ん、
また沖縄へ行きたくなってきた〜
どうしよう〜
いい歳したBBAですが、
次もし沖縄に行けたら
絶対SUBLUEを体験するぞ〜
いつも最後までお読み頂きありがとうございます