今朝のミーティングは、題してひろこミーティング。
一週間に一度程度、私のためだけのミーティングの時間をとっていただいている。
参加者は毎度のN氏とN田さん。
おお、NNだ、なんだこりゃ。
今日のテーマ。
いまヒーラーのSHIKAとやっている『Happy Birthday Project』について。
その中で、なぜ朗読なのか、それはどういう意味のものなのか、言語化していきました。
これはもっと精査して、しっかりと言語化していきます。
言語化するということ=カタチにする、ということ。
この世の中にあらわすために、言葉によってカタチにするという作業をしなければ、現れてこないわけです。
しかし、言葉は不完全です。
言葉で、全てを表現し、伝えることはできない、だからこそ逃げたく、葛藤もあり、難しいのですが、
そうもいっていられない。
だって伝わらなければ、意味がないです。
でで、なぜ朗読か、という話です。
朗読はツールです。
誰でも、日本語が話せればできます。
うまい・へたや技術はさておけば、どんな人でもできます。
小学生でもできます。
歌の苦手な私でもできます。
この朗読というアクションを通して、本当の自由と自立と責任と、そして、本物の人間関係やパートナーシップを
築くことができる、と思っているのです。
アクションにはリスクがつきものです。
行動しなければ、失敗もないのです。
人からとやかく言われることもないし、人とぶつかったり関わったりすることもありません。
でも、アクションによってしか、自分の身体をはって自分の人生を掴むことはできないです。
それはひとこと、例えば、「私、今ほんとうに嬉しい」とか「私いま、実は怒っています」「あなたに一緒にいてほしいんです」と、たったその一言を自分の責任で言う、その勇気です。相手にぶつけるのとは全然違います。
どんな結果でもいいんだ、という覚悟がいります。
それは本当に本当に、本物の勇気です。
そのたったひとことのための、朗読です。
そのひとことが、どれだけ言えないか、かっこつけてウソついてかくしているか、といったら驚くほどです。
でもそのひとことで、どれだけ自分と相手の距離を縮めるか、存在への信頼を取り戻せるか、その効果もまた、
驚くほどです。
ヒーリングや旅行や温泉で、英気を養ったりゆったりくつろいだり、調整することは有効です。
それによって、展開も変わるでしょう。
元気にもなります。私も大好きです。
でも、それだけではダメなんです。
自分で、覚悟決めてアクションしていかないと、本当の手ごたえも至福もない。誰も代わりはできないし、どこにも答えはない。自分でやるしかないです。
そうでないと、大切な人と成熟した関係を築くこともできないです。
言わなくてもわかるだろう、という期待と、その期待を裏切られた、という勝手な失望が静かに繰り返されます。
「じゃあ言ってわかってもらえなかったらどうするの?」と思いますか?
本物の勇気をもって言葉にした瞬間、相手の反応は全く関係がないものになっているのです。
相手がどう反応するか、は相手の問題です。
そこでその人が離れていくことがあったら、泣いて悲しんで、またゼロからはじめることができます。
そういう覚悟です。
(とはいえ、そこまでやって伝えたことは、結果的に、あなたを自由にします。輝かせます)
私は、このプロジェクトに参加する方は、これからの時代の新しい形のリーダーとなる方々だと思っています。
リーダーといっても、従来の、部活の部長とか、社長とか、そういうイメージではありません。
既存の当たり前にある価値や前提を疑い、時に憤り、「私は今こう感じている」「私はこうしたい」と、
「私は・・・」のコミュニュケーションを取れる、ありのままの自分自身を素直に打ち出せる、そういう強さと人や自分自身に対する信頼がある人です。
答えを自分で出す人です。
その答えの根拠は、どんな状況であるとか、何をしているとか、という外部の状況で揺れ動くような、「根拠ある」自信や信頼ではないのです。
そこには、自分の価値を証明する必要がありません。
人の言葉や態度を通して、例えば「私ってかわいいの」とか、「あの人私のことどう思っているのかしら」なんて
推し量る必要がありません。
その裏にあるのは、相手を自分の思う通りにコントロールしたい、意図をくじかれたくない、というエゴだからです。
ありのままを信頼するということは、相手も自分も本当の自由にします。
責任が生まれ、人のせいにはできなくなり、する必要もなくなります。
そして、自分個人のエゴでなく、広く貢献し、役割を果たす、生きている実感を経験とともに体感する、という至福の道を進むことになるでしょう。