ラテン語のことわざに Carpe diem というのがあるらしい。

意味は    「今を楽しめ。」


現代人は忙しい。

毎日毎日、朝から晩まで忙しく動き回る。


仕事が自分にとって楽しいものであれば良いのかもしれないが、そんなのはごく稀で、大半の人が生活していくためにしょうがなく働いているのだろう。

そう考えると、自分の興味のあることを学んで、その道の研究者を目指している自分は恵まれているのかもしれない。


よく「将来のために今がんばる」と人は言う。「これは将来のための投資だ」と。

いま何か努力をすればそれは後に自分に返ってくるはず、そうすれば将来は、今努力しなかった場合より幸せになれる、ということか。


それは頷ける話で、そんな風に考えて努力する人はいつか社会的に報われると思うし、報われてほしい。


しかし努力する本人の気持ちはどうか。自分が幸せかどうかは、あくまで自分がどう感じるかによるはずだ。ある人がどんな状況にあろうとも、本人が幸せと感じなければ幸せとはいえないのではないか(たとえどんなに権力をもっていたり、お金をもっていたりしても)。




何かを一所懸命にやることで他では味わえない充実感もあるだろうが、あまり頑張りすぎると、自分が他にやりたいことを抑え込みすぎてしまうかもしれない。


いくら仕事や勉強、その他の課題が忙しくても(たとえこれらに興味、やりがいを持って取り組んでいる人でも)、あまり気負いすぎない、無理に根を詰めすぎないのは大事だと思う。





たまには自分に尋ねてみる。「今、君は本当は何がしたいの?」と。

本当はいろいろやりたいことがあるはず。


いくら将来のためとはいえ、今を犠牲にしてしまったら、幸せを感じられるのか。感じられないのではないか。

今、この瞬間の幸せはどこにあるのか。


今、僕らがそのために努力している「将来」と呼ぶ時間も、そのときになれば結局「今」になる。

そしてその「今」においても、またその先の「将来」のために努力する。


どこかで落ち着いて、「まぁ、ここまで来たし、もういいか。」ときりをつけなかったら、今を犠牲にする人は一生を犠牲にすることになるし、きりをつけたとしても、そこまでの時間を犠牲にすることになる。

なるほど、努力の甲斐あって社会的に成功できて、地位や名声、財産も手に入れた。社会的にこれ以上ないほどの「幸せ」。

でもその人は幸せだと感じているのか、それまでの人生、幸せを感じて生きてきたのか。







努力することは素晴らしい、美しい。これは疑い得ない。

でも、かといって先ばかり見てないで、今にも目を向けてみる。

勉強、仕事なら「やべー、やんなきゃ!」と焦燥感に追い立てられてでなしに、今やることも含めて、自分が楽しいと思えるスタイルを考えてみる。


「俺はキャッフェでしか勉強しねぇぞ!」 みたいな(笑



            Carpe diem