宇野重規著『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』を読む | Beaucoup de choses

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明けましておめでとうございます!!本年もよろしくお願いいたします。

 

昨年末、宇野重規氏の『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』(中公新書、2016年初版)を読了しました。

 

 

宇野重規氏(1967-)は、東京都生まれ。東京大学法学部卒。同大学院法学政治学研究科博士課程満期退学(法学博士)。千葉大学法経学部助教授を経て、現在は東京大学社会科学研究所教授でいらっしゃいます。

 

初版は2016年で、以前から新聞各紙に書評が掲載され、ずっと読んでみたいと思っていた本でした。例えば、中島岳志東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の産経新聞の書評(2016年8月7日)も参考にしてください。

 

本書の構成は、以下のとおりです。

 

序章 変質する保守主義-進歩主義の衰退のなかで

第1章 フランス革命と闘う

第2章 社会主義と闘う

第3章 「大きな政府」と闘う

第4章 日本の保守主義

終章 二一世紀の保守主義

 

昨今、「保守」を政治的立場として自称する人が増え、その対極に位置するとされる「リベラル」や「革新」は、もはや見る影もありません。特に、若年層にその傾向あると指摘されています(諸説ありますが)。

 

その「保守」を自称する人は、現代日本において、伝統を保持する、自衛力を増強する、外交では対中国、対北朝鮮で強硬措置を取ることを主張するイメージがあります。そしてなにより、リベラルな個人や団体(民進、社民、共産党などの政党、朝日、毎日、東京新聞などの彼らがいう「左翼」、「左巻き」)を批判する傾向があります。

 

著者も序章で述べていますが、保守主義者が「何を保守するのか」を明確に答えられず、せいぜい「伝統を守る」ということくらいしか、言えていないのではないでしょうか。進歩(より人間が自由で平等な社会への志向性)を唱える側が衰退した今、彼らをバッシングすることが自己目的化しているのが現実です。

 

本書第1章に倣えば、保守主義の源流は、急進的なフランス革命に対して、もっと時代が積み上げてきた議論や、行政のシステムをいきなり飛び越えて新たな制度を打ち立てることに警鐘を鳴らした、エドマンド・バーク(Edmund Burke,1729-1797)に見ることができます。

 

エドマンド・バーク

 

バークはイギリスの政治思想家であり、下院議員を務めた人です。イギリスの議会政治の伝統を守る観点から、絶対王政に反対する自由主義者でした。この自由を守るために、例え時の王政との軋轢をも恐れなかったのです。

 

また、社会主義思想に反対したとされるハイエク(Friedrich August von Hayek,1899-19221)に焦点を当て、官僚が個々の需要と供給を予測し、計画を立てて生産を集約することなどできないとしました。

 

フリードリッヒ・ハイエク

 

ハイエクは、オーストリア生まれの経済学者および思想家です。『隷属への道』などの著作があります。1974年には、ノーベル経済学賞を受賞しています。

ちなみにハイエクは、通貨を政府や中央銀行だけではなく、それぞれの市中銀行が発行できるようにすべきと、『貨幣発行自由化論』も著しています。

 

また20世紀のアメリカで、政府が市場に介入したり、福祉を充実させようとする「大きな政府」を批判し、個人の所得を政府の力で再分配することに否定的な新自由主義の動きも出てきました。

 

これら、フランス革命、社会主義、大きな政府とこれまでの伝統を脅かすものとして、「何を何から保守する」ことが明確です。

一方、現代日本において、革新、リベラルといった「人間の進歩」を志向した人や勢力が衰退し、保守の側が闘う相手を失って迷走し、強硬な外交や排外主義を唱えている状況は、「保守ならざる保守」ではないでしょうか。

 

「保守か革新か」、かつてそのような対抗軸を前提に政治が語られていました。今日では、その枠組みだけではさまざまな現象を語れないと思います。私はヨーロッパの自立した個人を前提に、自由で公正な社会を思考するリベラルな立場ですが、どのような立ち入りであっても、他者への崇敬や謙虚さを持ち合わせる必要があると、本書を閉じた時に感じました目