丈六町の秋葉神社 | 東雲暁人のブログ

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日本の委は、徳島県の阿波から。
阿波は、大宜都比売神の国。
食は食い気(け)。気は食べ物から。食べ物は腸で造血され、細胞なり、また、血に戻る。

体内(腸)では、元素転換され、葉緑素のマグネシウムが鉄に転換され、赤血球になる。

今回は、徳島市丈六町、旧地名 多々良村南淵の秋葉神社へ行って来ました。時間の都合で、丈六寺の全てを回れませんでしたが、また、別の機会に。




因みに、「淵」とは、よだんだ水が深く流れる場所とあります。
つまり、この勝浦川は昔、水が今よりも水位が高く流れていたという事です。

最近は、地名に注目して土地の治療に注目して、古代の姿を想像しています。



最初の鳥居です。山の上に境内があります。麓には、不動明王が奉られていました。


鳥居を抜けて、山道を歩くとまるで待ち構えていたかの様に、石階段があります。



そして、石階段を登り切ると、境内と拝殿です。
何とも言えない厳かな雰囲気でしょうか。
まるで、隠れていたかのような、隠されていたかのようなそんな雰囲気もする神社です。

周りにには、手入れのされていない桜の木が悠々と腕木がまるで参拝者の行く手を狭めるように伸びてきています。
桜の季節に行くと、幻想的で古風な花見が楽しめそうです。




『秋葉大権現』と、読むのかな? 文字が劣化していて、ギリギリ読めるか読めないか? ですね。



この神紋おかしいですね? 何がおかしいって? 秋葉なんだから、椛の葉っぱ?

違います。これは、麻の葉です。





派の数が同じ7枚です。通説で、七つ葉のモミジだそうです。まあ、そういうこの事にしておきましょう。

せっかくなので、モミジの葉っぱも張ります。比較して下さい。





え? ナニコレ!!?

本殿へは、この様な鉄の橋がかけられています。
古代にはこれが木造橋だったのでしょうか?
もっとスゴイ造形の橋がかけられていた。そんな気がします。




本殿の裏にあった石碑です。…倒されていますね。子持ち石かな? 小さな豆粒の小石がたくさん張り付いています。
 良くわかりませんが…只ならぬ気配を感じます。普通なら見落としそうです。




さて、もう一度、わざわざこれを見せたのは、ワケがあります。写真では、分からないかも知れませんが、これ、拝殿の下くらいまで、大きな岩です!

もしかしたら、元々あった大きな岩を何か? に、使うので、砕き、このように整地したのでしょうか。だとすると、ものすごい大工場です。それとも何か? 必殺技でもあったのでしょうか? 

それで、「秋葉神社」といえば、火伏せの神が有名です。それで、こんな昔話があります。


由来について、徳島新聞HPに昔話が載っており、面白かったので引用します。


丈六町丈六寺の裏山に秋葉神社がある。秋葉はんは「火伏せの神」として有名で、ここには秋葉三尺坊をまつってあるそうな。

三尺坊は越後の武士じゃったそうな。戦国の人間の醜い争いに嫌気がさし、侍をやめて坊さんになった。三尺坊は厳しい修行のおかげで、香をたいて立ちのぼる煙で火を消すことがでけるようになった。

ある日。丈六寺に金岡禅師ちゅうえらい坊さんがおられるちゅうんを聞いてやってきた。弟子にしてもろうて修行を続けた。

ところが、突然、金岡さんが寺から消えてしもうた。ほして、

「わしは秋葉三尺坊じゃ。この寺を火事から守るであろう」

ちゅうて、姿を消してしもうた。ほんで、村のもんが寺の裏山にお堂をこっさえて「秋葉大権現」ちゅうておまつりしているそうな。
(引用終わり)

気になりませんか? お坊さんはどうやって、火を伏せけしたのか? そして、疾走…もと、文字通り蒸発したのか?

それは、火伏せに使った神具が大蔴(おおあさ)だからです。
お坊さんは大蔴の毒にやられたのです。


そして、他の通常綿類と比べても、麻は非常に燃えにくい性質をもっています。

でも、何だか、ここに、素戔嗚尊の気配をずっと感じました。
消されたのでしょうか? それと、只ならぬ気配もずっと感じます。でも、また、来たいですね。(変態か?)


 



こちの動画で、本殿に亀が掘られていました。亀は、素戔嗚尊の化身です。




気付かなかった。まだまだ、修行が足りませぬ!
もっと、精進しなければ!

因みに、この丈六町は更に古くは、片潮(かたしほ)郷の坂田邑と呼ばれていたそうな。きになりますね。ふたつもあります。ここは、塩が取れたのかな? 邑…この漢字は、蛇を意味しますね。すると大国主命かな? 

後でも知ったのですが、大国主命の一族の古墳が地核にあるそうな。次はそこを見てみたいですね。



今回は、ここまでです!