地震発生のお話 | 残念バンギャルの人生2

地震発生のお話

生きてました私はもちろん家族、家無事です。
本日電気復旧しました
ガスは都市ガスでなかったため復旧済み
ライフラインは水のみです
わたしの地域はドコモの電波塔が倒れ、余震後携帯が通じなくなりずっと圏外でした
おかげでまわりがまったくわかりませんでした
みなさんありがとうございました


地震発生のひ
わたしは朝9時30分から副業の仕事のトレーニングをPCで行っていました。そのため本職はやすみ
本職とおなじ業務なのもあり昼前には終了
夜は遊びにいくのでと犬と仮眠
15時30待ち合わせであったため14時ぐらいに起床
化粧してるところに母帰宅
2階の洗濯物とりこんでくるね、と母が言うが手あらいしてきなよと静止
手を洗いうがいをしてきて母が友達との会話を楽しそうに話している最中に携帯の緊急地震速報がけたたましくなりました
はじめはなにかわからなくて

としてるところに激しい揺れが来ました

わたしの地域は地盤が固いため他の町で震度5がきても震度3程度であったりするような場所です
それなのに物がたくさん落ちてきてパリーンっておとがいっぱいしましたw正直笑うしかありませんw
母はどうしようと騒ぎ、わたしは目が見えない犬をかかえました。揺れはとまりません
すごかったとしかいえない
やっと止まっても電気はストップ
わたしの地域は本当に電気なんぞとまらんぐらいの震度しかこないはずなので驚いた
携帯にてついったーみくしーになんとか生存確認
そのご繋がりにくくなるため止め
外はわからない
ラヂオをかけてみると大津波のはなしが飛び交う
さらに地震速報で余震がでかい
正直いまでも家がみしっとなると不安でしかたがない
正直怖い
南三陸という町は小さい頃わたしが住んでいた場所です
残った場所をきいただけで恐怖でした
小さい頃の同級生、もちろん連絡つきません。おそらく津波で避難してるんだよね、そう思いたい

オタ会場コミケ開催のあれ
お世話になった空港
会社同僚が住んでいるA浜
バンギャ友、会社同僚の住むI巻
昔父が単身赴任していたK仙沼

みんなすごいことになってました

ラヂオが情報源なのにまったく情報がすくない
震災1日めは頑張れても3日め、電気水道がないだけで精神的に参ってきました
わたしなんて家崩壊してないのに、みたいな
父は仕事上帰ってこれないため暗い中母と二人きりで真っ暗闇の中懐中電灯つけてお菓子食べてました
食料を購入にいけば長蛇の列。買えるのはお菓子
夜は寒い。本当に大変でした
ほかの被災地のかたはもっとひどいとおもう
わたしは家があるだけマシです
だけど精神的にはまいったみたいです。不整出血止まりませんwおかしいなー


長くなりましたがわたしはこんなかんじです
電気がつきましたが節電のためいただいたたくさんのメールはゆっくり返事させていただきます
みなさんこんなわたしのためにありがとう
しいていうなら風邪で熱だしましたwwwww
暗闇が怖いですwww地震パネェです
余震、また震度6はこないでいただきたい堪えられない

今日テレビ初めて見ました
東日本がたいへんなことに…みなさんも大変だとは思いますがわたしみたいなのでも生きてます強くいきてください



とりあえず痩せましたやつれだなこれ。病院いきたいです


長くなりましたがありがとう