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今朝の読売新聞一面編集手帳を読んで感じたこと
転載が禁じられているので貼れなかったけど
心療内科の事件についてカミュの手帖を引用して記されていた
引用:編集手帳より
正気を失いかけた時の心理を書き留めている。<
人間のもっとも自然な性向は、自分を破壊し、自分と一緒にみんなも道連れにしようとすることだ。たんに正常であるだけのために、どれほど並外れた努力が必要となることか!>『カミュの手帖1935-1959』大久保敏彦訳、新潮社
最近この手の誰かを道連れにする事件が後を絶たない。
人の生きる権利を否応なく奪う行為は決して許されるものではなく、あってはならない。
しかし根っこを紐解いてみないとこの悲しい連鎖は無くならない。
集団生活において、ある程度は適応を求められることは致し方ない。
しかし、個性の範疇に収まる部分は人により矯正することに想像以上の苦痛を伴うものもあるのだと思う。
こんなことをしてしまう私は害悪なのだと自分を否定する。
健常者が軽くこなしている普通は彼らにとってはかなりの努力を要することで、多数派の普通に合わせさせるための言動や叱責は、想像以上のストレスであり、難題なのだということをおおよその人はわかっていないのだ。
そして、この人のせいで迷惑をかけられている、仕事が増えると嘆くのだ。
前に特性のある方が多数派の環境では、健常者の方がおかしく見えるという記事を見たことがある。
1番の問題は、相手を理解しようとしないことで、悪意があると決めつけること。
相手を理解しないと相互理解は生まれない。
そして彼らは言葉で表現する力が弱い場合が多いと言うこと。
そして、多数派にも少数派にも言えることだが、疲れていると余裕がなくなるということ。
日本は忙しいの大好きで、評価は低い上に、構造を複雑にして雇用を補ってきたので、色々と問題がありそうだ。
私は今高福祉国に興味がある。
みんなが認められると正気を失うほどのことも無くなるのではないだろうか
最後まで
読んでくださりありがとうございます