病院や療育について心配をおかけしました。

アドバイスを本当にありがとうございます。

一昨日、病院にいってきました。

この病院ですが、よく選んで行ったつもりでしたが、残念ながらはじめはあまり良い印象では有りませんでした。

予約の時も保険証だけでいいと言うし(調べたときには通知表とか母子手帳とか発育歴が分かるものが色々要るとか書いてあったので必要だと思っていた)、先生と話しても、私の話は最後まで聞かず、自分の自慢話ばかりで、難しい話をしたあげく、
「あなたには分からないでしょうが」と言われ、「下に見られているな」と少しイライラしていました。
それでも臨床心理士による検査が数ヶ月待てば有るということで通いました。

その途中でもカウンセリングは「長男が心を開かないし、スクールカウンセラーにお願いしたら!」と言われ、突き放された思いでした。
長男の検査では臨床心理士によく話を聞いてもらえたので安心していたら、検査結果を伝えられた日にまだ話をしたので次に来たときに文書は渡しますと言われ、私の検査の日だったので封書だけもらって帰りました。帰ってから家事が一段落ついて開いてみると、診断名がない(;o;)
電話で診断名はと聞くと、また来てくださいと言われ、仕事を早退して行き、また特徴について前に話した同じ話をした。
長男が書いた字をチラッと見て、「文章が単調過ぎますね。知的はどうでしょう。」
私「IQ89です。速度とか類似を配慮してあげれば問題ないと書いてあります。」
先生「ADでしょうね。多動はそうないようだし、今日は時間がない。診断書必要なら送ります。」と追い返された。

ここからブラック十人十色スイッチオン!

見たくない人はここから見ないでね。


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心の声です。
始めに発達障害を疑っての受診だと言いましたよね。検査して慎重に見極めないといけないから1カ月待ったのですよね。私が電話していないとそのまま診察終了さよならですか?
わたしは仕事をしていて、休みにくいのに休みを取って受診していることも伝えています。
後日私の検査の日は臨床心理士にしか会っていませんが、病院には先生がいらっしゃいました。始めに特徴等は話をしていますので、疲れてはいましたが、その日に先生から診断名を伝えてもらうことが出来たんですよね。確かに診断を下すのは大変な事ですが、「医者がそんなに逃げてどうすんのよ!」と、モヤモヤした気分で帰りました。

私の結果の日、やはり長男の結果の時と同じそんな感じでした。
先生は後程、県発達障害者支援拠点病院に認定された大学の出だということは知っていましたので、紹介状をもらうつもりで挑んでいました。
先生は、自分がアスペルガーだからとまた自慢話を始めました。私はもう先生の武勇伝は聞いたしと思い、被せぎみに自分の思っていることを訴え始めました。
先生は、高機能自閉症でしょうね。でも今は全部自閉症スペクトラムになっている。あなたも気にすることないですよ。私もそうだし、と慰め始めました。
イヤイヤ、私は自分のことを悲観している訳ではないし、聞きたいのは私に障害があることで、小3の頃から長男の療育を自分でやろうと思っていたにも関わらず出来ていないのではないかということだったから、長男の事を誰に頼ればいいかというところだった。
先生は発達の子どもが将来どんな仕事が出来るかを考えて、将来仕事が出来るように今、土台を作っているところだという話をされていた。
その頃にははじめはそらしてあった目もしっかり私と合って、生き生きと話された。
途中、小さいノックが4度ほど有ったが、どうも、「時間ですよ!」の合図のようだったが、3度までは丸無視だった。
ああ、この先生は、はじめの診断までは乗り気じゃないことだからあの態度だが、後半は自分の今やりたいことだから話が乗ってきたのだなと思った。
なんだか嬉しいやらおかしいやらで、このままこの先生にお願いしても良いのではないかと思った。
私も、息子の事を何とかしなければと思うからやらなければと思いながらも出来ず、特徴も書いて持っていこうと思いながらも忙しさを理由にしなかった。本当はきっとやりたくなかったのだ。一緒ではないかと思った。
私は人が居ると積極的に動けない。
だから先生には伝わらなかったのではないか。
私も悪かったのではないかと思う。
とんだ一人相撲で笑えたけど、少し安心した。
この先生は話し方次第でじっくり話を聞いてくれるかもしれない。下二人も気になることがある。兄のことも気になる。
息子のことは先生には難しいかもしれないという思いはあるが、
とりあえず私の次の予約を入れてきた。

先にも書いたが、私は発達障害であることを悲しいとは思わない。主人も「個性だろ!」と言います。社会がスピードを優先するあまり、余裕がなく、学校はまとめやすいように個性を許さなかっただけだ。
人それぞれ、早くてもゆっくりでも良さがある。少し前にKYという言葉が流行ったが、私は空気なんて読むもんじゃない。大事なのは話し合うことだと思っている。
人は違って当たり前、話し合うことで理解が深まるものだ。

長くなってしまいましたね。ではまた照れ