このブログのタイトルの中に「4コマ漫画家」という文言があります。
かつて私は、4コマも少しは描いていましたが、
どちらかというともう少し長いストーリー物の漫画を
描くことの多かった同人漫画家でした。
 
 
私は物心ついた頃には、
裏が白い新聞の折り込み広告と鉛筆があれば
いつまでも絵を描いている子どもでした。
 
「ごく小さい頃には絵を描いていたかもしれない」
「学校の図画工作や美術の授業では
(授業だから仕方なく)絵を描いていた」
という人も、多くは大人になっていくうちに
「自分には絵心がないから」「下手だから」「上手に描けないから」
などの理由で、絵を描かなくなってしまいます。
 
絵心のあるなしで言えば、絵や漫画を描ける人がゴマンといる中で
私より上手に描ける人はこれまたゴマンといるので
正直私自身、自分に絵心があるとは全く思っていません。
描くことは大好き、ではありますが。下手の横好きだと思っています。
 
小さい頃、私が何か描くと、周りの大人たちが褒めてくれました。
褒められると嬉しくて、また調子にのって何か描いて、見せて。
その繰り返しで、ここまで来たような気がします。
 
だけど褒めてくれる大人が多い中、一人だけ何を描いても褒めてくれず、
ここがおかしいこれは間違っている、と指摘する人が一人だけいました。
私の父です。
 
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何が間違っていたのかというと、
例えば動物を描いた時にしっぽの形が間違っている
(Aという動物にBという動物のしっぽがついている)とか、
この花にこの形の葉っぱはおかしい
(Aという花にBという花の葉っぱがついている)とか。
 
要は観察力が足りない、ちゃんと実物(もしくは写真など)を見て描け、
ということを言いたかったのだと思います。
 
幼い私に父の真意は理解できず、ただ
「なんでお父さんだけは褒めてくれないんだろう」
「私が絵を描くのが気に入らないのかな」
と少し悲しく思っていました。
 
周囲の大人たちの中で、絵を描いている大人は父だけでした。
写実的な風景画や人物画が得意分野だったようですが、
時には新聞に載っている風刺漫画のような絵も描いていました。
 
絵を描くだけではなく、手先も器用で日曜大工のようなこともしていました。
お正月の羽根突き遊びに使う羽子板を、板を買って
羽子板の形に切ることから始まりちゃんと絵も描いて、
小学校入学時には板を切って組み立てて本棚を作り色を塗ったり。
 
毎年の年賀状も版画で作っていました。
1枚の版画のために、5枚も6枚も板を買って、
刷る色ごとに版を変える凝りようでした。
 
そんな父を見ていて、いつしか私は
いつか父を超えてやる、いつかこの人を
(褒められなくても)唸らせる作品を描いてやる、
と思うようになりました。