​これは何ら確かな情報源に基づくものではなく、あくまで私個人の思索と、溢れ出す感慨を綴ったものである。


​四月の配役は、極めて理にかなったものだ。実利的な面で見れば、幸四郎さんを招くことは仁左衛門さんの身体的負担を分かち合うことに他ならない。五月に控える一ヶ月間の単独連演を前に、四月は決して透支(使い果たす)してはならないのだ。私には、それが「退却」ではなく、最後の一瞬に命を燃やし尽くすための、静かなる行軍のように思えてならない。

​一方で、継承という観点から見れば、仁左衛門さんは幸四郎さんを自らの芸術精神と技芸の真なる継承者として見据えているのだろう。
孝太郎さんは女方の道を歩み、千之助さんは未だ二十代半ば。松嶋屋、ひいては「上方歌舞伎」の型をいま背負って立つべきは、仁左衛門さんから幸四郎さんへと手渡されるバトンなのだ。
感傷的な言い方かもしれないが、家伝の大役の継承者として、幸四郎さんがこの松竹座で『寺子屋』を勤めることは、かつて仁左衛門さんがここから出発した時のように、新たな起点の幕開けとなるのではないだろうか。

​四月の托付(ゆだね)を経て、五月。そこは仁左衛門さんにとって「最後の戦場」となり、自ら設えた神櫃(しんき)であり、生涯愛した芸道へのラブレターとなる。

​四月の溜息が消えぬ間に、季節は音もなくページをめくる。五月の大阪。中之島の薔薇が夕映えに溶け、大阪城公園の若葉が真新しい旗を掲げる。大川の川面を渡る夜風が低く囁き、初鰹を炙る香りが芝居小屋前の提灯を照らす。街全体が初夏の光をまとい、来たるべき「絶唱」を迎えようとしている。光と緑が交錯する中で、一つの時代の終章が静かに幕を上げるのだ。

​当初の予定では、五月もダブルキャストの案があったのではないかと推察する。しかし、仁左衛門さんは「一人で勤める」と固辞したに違いない。

なぜ、彼でなければならないのか。なぜ、『盛綱陣屋』でなければならないのか。

三十年前、松竹座が新築再開場したあの「柿葺落(かきおろし)」の時、彼はまさに『盛綱陣屋』を勤めていた。当時、壮年期にあった彼は、最高の状態で新たな時代を切り拓いた。
そして三十年後の今日。歳月は流れ、多くの故人がこの世を去った。松竹座との別れの時に、彼が選んだのは、やはり『盛綱陣屋』だった。
​始まり、そして終わる。それは完璧な「円環」であり、仁左衛門という役者の芸術生命における閉環(クローズ)である。そこに詰め込まれているのは、三十年間に及ぶ技芸の精進、上方歌舞伎への理解、そして希望の全てだ。個としてここから旅立ち、広い世界へ羽ばたき、そして最後には起点へと還る。松竹座に別れを告げ、時代に別れを告げ、そして過去の自分自身に別れを告げるのだ。

​さらに別の意味もある。彼と共に時代を築いた役者たちの多くは、既に雲の上へと旅立ってしまった。
一ヶ月間、たった一人で舞台を支え続ける。仁左衛門さんが私たちに記憶してほしいと願うのは、彼一人の姿ではないはずだ。時間の制約を超え、三十年間変わらず松のように凛として舞台を支え続けてきたその姿に、かつての上方歌舞伎の名優たちの風華を宿しているのだ。残照が劇場を照らす中、最後の巡礼が始まる。あの舞台に立っているのは、仁左衛門という一人の役者であり、同時に、歌舞伎の空に輝いた全ての関西藝人たちの面影なのだ。

​そして『盛綱陣屋』という演目そのものが、今の彼と深く重なり合う。
佐々木盛綱と現在の仁左衛門――。両軍の対峙、親情と忠義の狭間で引き裂かれる盛綱。東京一極集中の現実と「上方復興」の悲願の狭間に立つ仁左衛门。陣屋の中で家族の悲劇を独り呑み込む盛綱と、伝統という荒野で独り灯火を守る仁左衛門。
似通った境遇が彼らの背中に同じ色を塗り、役そのものが関西藝人の「凛々しき骨気」として定着する。引き裂かれるような苦悩の中でも武士の尊厳を失わない盛綱の姿は、今の仁左衛門そのものではないか。役と役者が溶け合い、真贋の境が消える時、その孤高の美は芸術の極致となり、観る者の心を震わせ、涙を誘う。

​そう考えれば、仁左衛門という人がいかに誇り高く、優雅な武士(もののふ)であるかが分かる。たった一人の『盛綱陣屋』。そこには、自らの肉体と舞台生命に対する、極限まで研ぎ澄まされた統御力がある。
この「狂気」とも言える配役は、彼が自らの「終焉」に対する主導権を取り戻した証なのだ。
「劇場が閉まるから終わるのではない。私は、劇場が閉まるその瞬間に、最高純度の芸術を捧げ、自らの手で時代の終止符を打つのだ」と。
​彼は退場しない。決して、退場などしない。

彼はただ、最高に気高く、最も美しい姿で、最愛の松竹座と共に、不滅の伝説の中へと歩みを進めるだけなのだ。