改めて『三人吉三巴白浪』を見直すと、三人の吉三の因果の流れがこの悲劇の中心である一方で、影にいる十三郎が物語全体に夕暮れのような色を加えていると感じる。彼の悲しさは、選択を誤ったことではなく、最初から選ぶ余地がなかったことにある。彼の歩んだ道は、理解されることも、完成されることもない人生へとつながっている。

まず一つ目は、いわば小さな出来事が連鎖する点である。
十三郎が落とした百両がすべての始まりとなる。これによって、お嬢吉三が金を奪い、お坊ちゃん吉三が横取りし、最後に和尚吉三が現れて三人が義兄弟になる有名な場面へとつながる。つまり、十三郎が失ったのは金だけでなく、物語全体を動かすきっかけでもあった。

二つ目は人物の置かれた状況である。彼が救いだと思ったものが、さらに深い悲劇の入口になっている。
行き場をなくした十三郎は川に身を投げようとするが、伝吉という老人に助けられる。その家で、かつて縁のあったお瀬と再会する。お瀬は伝吉の娘だった。
互いに思い合う二人は、生き延びた喜びに包まれるが、その先に何が待っているかは知らない。
しかし細かく見れば、久兵衛の話を聞いたときの伝吉の表情に違和感がある。伝吉は十三郎の実の父であり、つまり二人は兄妹である。
この関係は悲劇をさらに重くする。ただ、十三郎が死ぬまでこの事実を知らないままでいる点には、作者である河竹黙阿弥のある種のやさしさが感じられる。知らないままの幸福は、短くても確かに存在している。

三つ目は、すべての因果の終わりである。
最後に三人の吉三は追われる立場となり、命が危うくなる。和尚吉三は仲間を守るために、助けを求めてきた十三郎とお瀬を殺してしまう。
外から見れば、この兄妹は自分たちの罪を知る前に死ぬことになる。それを残酷なやさしさと見ることもできる。
だが十三郎にとっては、そこにも悲しさがある。彼には選択がなく、理解もなく、救いもない。罪を背負う機会すら与えられない。

彼は三人の吉三の義理や気概の中にも入れず、彼らが背負う罪にも関わることができない。ただ巻き込まれ、流され、使われ、最後には静かに消えていく。
彼の人生にはめぐり合わせの回収も、答えもない。百両の金が引き起こした連鎖は彼には重すぎた。再会と恋には知らされない真実が隠されていた。そして最後の死は、その意味さえも与えられない終わりだった。