このお話は、今では有名なお医者様になった方の、一番大切な思い出だそうです。

コウヨウ

板橋区の駅そば、ビルの3階に借りた40坪のスペース。
そこが先生の初めての診療所でした。

開業1日目、友人知人から贈られた花束が並ぶ、わずか10人ほどの待合室には、いくら待っても患者さんは現われませんでした。

「そろそろ閉めようか」と、先生が席を立ったそのとき、入り口のドアが開きました。
見れば、ビルの大家のおばあさんが立っていました。

そばには3歳位の女の子が寄り添っています。
両方の手のひらを合わせて、灰色の何かを大切に持っていました。

おばあさんが言いました。
「先生ちょっといいですか?・・・・・。」

女の子を待合室に残し、診察室に入っおばあさんが、小さな声で言いました。
「うちの孫が縁日で買ってきたウサギがね、死んじゃったんですよ。
でも、いくら話しても、孫には”死んじゃった”の意味が分からない。
先生、何とかうまいこと、わからせてやってくださいな」

開業して第1号の患者さんになった「死んだウサギ」
先生の治療が始まりました。

おびえたような目をしている女の子を、診察室に招き入れると、先生はその手から、冷たくなったウサギをそっと受け取りました。

それから、わずかばかりのリンゲル液を注射器にとって、それをウサギに耳に注射しました。

次は、人差し指と中指の二本の指で心臓をマッサージ・・・・。
ウサギの顔へ口を寄せて、人工呼吸の真似もしました。
こんな手当てを5分くらい続けた後、先生は女の子にこう言いました。

「ウサちゃんはもう、ずぅ~っとおネムで、目を覚まさないねえ。
でもウサちゃんは、これからお月様へ行くんだから、会いたいときは、いつでも合えるんだよ。
わかるかい?
無理やり起こしちゃ可愛そうだから、このまま寝かせてあげようね。」

すると女の子は、こっくりと深くうなずいてくれました。

先生の医師としての志が決まったのは、このときだそうです。

人には四つの命がある。

①生まれたときに授かる「肉体の命」
②成長しながら芽生える「心の命」
③世の中に出てからもらう「社会的な命」
④そして、死を迎えてからも、残された者の胸の中でいつまでも生き続ける「四つ目の命」

自分はこの「四つ目の命」を大切に出来る医師になりたい。
例え亡くなったとしても、残された肉親や友達の心の中で、穏やかに優しく生き続ける命を育んで生きたい。

これが医師としての使命と責任なのだ。

それが出来てこそ、本当の医師なのだ。



先生は、この志を抱いて、今日も診察室のドアを開きます。