早いもので「高慢と偏見のオペラ考」を書きはじめてから、数晩が経ちました。その間中ずっとホセとエスカミーリョ、そして、誰よりもミカエラのことを書きたくてたまらなかった。しかし、それはまったく無理からぬこと

いわゆる長きにわたって愛され続けている作品には、どこをとっても一流と認めざるを得ない気配りが施されている。この『カルメン』ももちろん例外ではなく、それは登場人物が発揮する魅力にも余すところなく凝らされているからだ

 

 

…とまで熱弁をふるっていた割に、既にやる気の半分くらいを失ってしまった。私にとっての「ベスト・ホセ」ことRyan MacPherson の動画がなかったからである。ちょっとYou Tubeに信頼を寄せ過ぎていたな

 

「その代わり」と言ってはあまりに名演過ぎるホセ・カレーラス版を貼付した。ホセがホセを演じるという壮大なだじゃれ。「こんな色男に、はたして気弱な伍長が務まるのか?」なんて疑いながら観た日が嘘のよう。この演出はJ.カレーラスが出演した数ある『カルメン』の中でも、とりわけ有名であるように思う。当時の年齢もよかったのかな? 

そう言えば、その歌詞の中に"Canerias(カナリア軍)"という表現があるにも関わらず、あまりホセが黄色の軍服を着ているのを見たことがない気がする。今まで観賞した中でも数える程度しか。いわゆるアマチュア上演に至っては皆無と言ってもいい。そんなに気にしたことがなかったけれど、一体どうやって字幕に反映させているのかしら

 

 

同場面のバレエ版。この「ハバネラ」は、カルメンに心奪われるホセにとっての見せ場でもあるように思う。少なくとも私は、この場面ではカルメンと、彼女を見つめるホセを交互に見ている

 

先日の記事では、「カルメンは"かわいい"か"怖い"に演じ分けられる」という評文を引用したけれど、それをいうなら「ホセは"コワモテ"か"軟弱"に演じ分けられる」よね。私は言わずもがな後者の方が好みです。このホセはどちらとも言えず、非常にバランスがよく練られている

きっと彼自身が生来持つやさしくて気さくな性格と、反面でバレエに向き合う時の潔癖な姿勢が奏功しているんだろう。ホセを演じるのはニコラ・ル・リッシュ。彼も引退してしまいましたね

 

我が国でもお馴染みのローラン・プティによる演出。どうやら賛否が別れるようですが、私にとってはお気に入りの一作です。たとえ"大きなカマキリの威嚇"と言われようとも、どんなニコラも愛せるわ

 

 

こちらはカルメンをめぐってホセとライバル関係となるエスカミーリョの見せ場。この演出では本当はマリウシュ・クヴィエチェンが演じるはずだったんだよね…。それだけに広報用写真や予告向け映像では、彼の姿が確認できる

 

もしこの演出でM.クヴィエチェンが歌ったら、一体どんなエスカミーリョだったかしら? 個人的にはもうちょっと「鼻持ちならない」雰囲気でもいいな。その方がカルメンとの間に、より濃密な絆を感じられるから

彼は自身が歌い上げる歌詞に表わされているように"Toreador(闘牛士)"で、その中でも最も人気を集める"Espada(ここでは花形の意味)"である。従って、その立ち居振る舞いは一挙手一投足が自信に満ち満ちていなければならない。とはいえ、それを課題に掲げ切れていないバリトンって少ない気がする。ここまで歌手として大成した時点で、その社会的立場が似通うからかな

 

 

しばしばバリトンのレパートリーとして並列されるドン・ジョヴァンニとエスカミーリョ。この2人に共通点を感じたことはなかったし、これからも恐らくないと思う。私にとってエスカミーリョは老若男女に愛される二枚目ながら、どうやらドン・ジョヴァンニはその顔立ちはどうあれ道化者の要素がなくてはならないようだ。一見すると似ているようで、「完璧な伊達男」と「二枚目気どりの三枚目」は対極にある

実は、この作品中の主役格で唯一の「スペイン人」であるエスカミーリョ。彼は原作では「ルーカス」と名付けられていて、その立ち位置も性格も異なるのだ。一言でいうなら「文句なしの好男子」、もっと下世話に評すれば「そこはかとなく漂う噛ませ犬臭」。だからこそ、原作との差異をつけるためにも、オペラでは「チョイ悪」でいて欲しいなと思っていたりするのです

 

 

そして、 ホセの婚約者であるミカエラ。恐らくカルメンとの対比からか金髪で描かれることもままあるものの、それは不自然極まりないあまりにも乱暴なキャラクター設定だと思うから、私は好みません。彼女はホセと同じバスク人で、その事実が軽視されてしまっては元も子もないって思うから

 

そう、彼女はホセの婚約者であり幼馴染。ホセにとっては、彼女=郷愁心と言い換えても過言ではない存在です。それが一目で分かる演出であって欲しいのです。この物語の転換部分で恋人同士となるカルメンとエスカミーリョ。その2人を「似た者同士」と称するのなら、ホセとミカエラは「魂の伴侶」と呼べるとさえ

 

彼らはその心に抱く博愛や信仰を共有し合うはずの「本来の運命の相手」。それなのに片方が別の相手に惹かれてしまう。だから悲劇は悲劇となり得るのだから

 

 

「高慢と偏見の『アイーダ』考」では、「アイーダの抱く"個人的な思慕"と"誰しもが生まれ持つ郷愁心"、その二つが重ならないがために悲劇が生まれてしまった」と書きました。実は、彼女とホセの置かれた状況はまったく同じ。それでも、いざの段を迎えたホセはやむなくも"個人的な思慕"を選びとります

ホセを『タンホイザー』の主人公に喩えた評文も読んだことがある、しかしながら彼とは全然似ていないよ。しばしば「優柔不断」の烙印を押されもするけれど、それも違う。ホセには歌い手や演出による「気弱」という性格上の肉付けはあっても、彼自身の欲しいものはきちんと分かっている

 

同じくミカエラも、彼女自身の信念を揺るがすことがありません。実際にはとても強い女性だし、そこが好きです。同じ理由で、『風と共に去りぬ』のメラニー・ハミルトンのことも。同作中でメラニーが皆から鼻摘まみ者となっているレット・バトラーに唯一別け隔てなく振る舞うのは、そう神の教義や教典に書かれてあるからではなく、その人柄を知って信用に値すると判断したから。自らが周囲に後ろ指を指される社会的な死という危険性さえ孕んでいました、実際的な賢さととてつもない勇気がなければ出来ることではありません

 

私は今作のミカエラもそれに准じるようなオペラ史上稀に見る優れた登場人物の一人だと思っています。たとえホセが軍隊から除籍されようとも故郷に帰って来たならば、彼女はそれと落とされた肩を抱いて優しく受け入れたことでしょう。その隣り合わせであろう死の危険にも関わらずに険しい道のりをたどってホセを説得に来たのも実に勇気の要る行いです。彼女の場合それはメラニーのような賢さではなく、ただひたすらに掛け値なしの愛ゆえ

 

 

何これ、素敵…。さっきYou Tubeをさまよっていて見付けました。全編通して観たい観たすぎる。もしDVD&B.R.があったら、絶対に買いたい。もし振り込めと言われたら歓んで振り込みたい。とはいえ、この『カルメン』を舞台を変えて翻案するって、実際には結構なチャレンジだと思う

この上演の成功を裏付けるには、ほかならぬ「ジプシーの気質」と「バスクの乾いた土」と、それに対峙する「華やかな南欧文化」が欠かせないって思うから。そうした意味では1975年まで続いたフランコ体制による対外的なイメージづくりは、この作品の国際的な成功を不動に位置付けたという意味で奏功したと言えるんだろうか

 

いずれにせよ、今日この国の光と影を理解するには欠かせない作品といえるはずだ