先達ての記事中で「今年最もたくさん観たオペラはMETの『メリーウィドウ』だった」というようなことを書いたと思う。あれ、確かに書いたはず。たぶん書いたよね? 

 

かつて英語詞というだけで敬遠してた自分を過去に戻って説得したいくらいに無様に着水し、今もその沼の只中を泳ぎ続けている。この沼は適温だし養分も豊富だ、これ以上を望んだら罰が当たる。けれども一緒に揺蕩う仲間は欲しい。この年齢にして分かるよ、かつて民話で読んだ山姥や鬼婆がどう生まれたのか。こうして人間って妖怪になっていくんだな

 

私がMETのOn Demand会員になったのは、偏に当時の推しのおかげだ。しかしながら、もしこうまでMETがオペラの裾野を広げ、その門戸を開いていなかったら、自分はここでこんな記事を書くに至らなかっただろうとも思う。つまりは、それほどに広報力が素晴らしいってこと。この動画についても同様で、このオペラのリハ中でこの場面を取り上げるのは如才ないというか流石というか…

 

いわゆるマーケティング戦略の基本として「次に顧客になってくれそうな層」を標的として狙い撃つ訴求は効果的で、そこを外していないところに、ここMET引いては同劇場が持つ天井知らずの勢いとそれを可能にする合衆国全体の市場の大きさを感じる。無論のこと、その標的とはブロードウェイに他ならない。恐らくスーザン・ストローマンとケイト・オハラを起用するのに持って来いの演目だったんだろう。全然42番街とは違う田舎から来てすみません。という気持ち

 

今演出におけるお気に入りはいくつか挙げられる、その上で一番を白状するとしたら第二幕の前奏曲かな。あんなに心疼かせるような要素が詰め込まれた第二幕のはじまりはそうそうないよ。昔『ドン・ジョヴァンニ』を観劇しに出掛けた際の幕間で「もう聴くべきレチタティーヴォは全部聴いたから帰ろうかな」とバー・コーナーで言った時に、たまたま隣で飲んでた老紳士から向けられた冷たい視線が忘れられない

 

ただ気分が乗るからオペラを聴いているだけで、あまり演技性以外には今でも興味が湧かないんだよね。いわゆる歌声の正確さやその美しさを見極めるのも才能だと思う。私にはその才能はない分だけ、この場面におけるS. ストローマンの意図が分かるよ。このゲネの映像は本番のそれと細部が違って、そこがたまらなく愛おしいんだ

 

これは以前にも貼った「女、女、女のマーチ」。全体として台詞が多く、ご近所とはいえブロードウェイ出身者を重用した今作に過不足ない緩慢を与えるトーマス・アレンのインタビューを読んだことがある。曰く「バリトン歌手として、(ワーグナーなど)重厚な楽劇と(ベルカントなど)より軽妙な作品を選ぶ分岐点があった。どちらにも一定数支持があったものの、結局はこちらを選らんだからこそ現在の立ち位置があるのです」と語っていた、それに違わぬ年齢を感じさせない歌声だ

 

その後の(ダニロ伯爵に扮する)ネイサン・ガンとの遣り取りでも分かるように、彼が素晴らしい座長であるのは疑いようがないと言わざるを得ない。それはそれとして、毎日サンブリオッシュ伯爵のご尊顔を観られる悦びを噛み締めてる。その尊さゆえ噛み締め過ぎて咀嚼できないまである

 

これまでの記事や冒頭でも触れたように「英語詞なんて!」って思ってた。いざ一聴してみたら、すぐさま虜になって、ほかの英語上演版も観る羽目に。そんなに数多く観た訳ではないけれど、今作より優秀な歌詞は「(個人的な回答としては)なかった」と言っても決して過言じゃないな。その功績から三顧の礼で以て迎えられたであろう演出家をして頌詞を語らせる翻訳家の手腕は、ともすれば地獄と隣り合わせにさえなり得たであろう劇場を観客席からの笑声で満たしたことからも明らかだ

 

それを可能にするものこそが皮肉にも言葉の壁で、ここには英米豪の歌手陣で固めているばかりでなく、その経歴においてミュージカルの出演または演出に携わったことがある出演者を揃えているという精鋭振りでもある。昨今では容姿や運動神経など何物も持ち合わせていたり、その出自によって重用される歌手は決して珍しくないんだろう。それでもこの布陣を揃えるのには一方ならぬ苦労があったはずだ

 

第三幕が開いた時に、そこに居合わせた観客席は驚いただろうな。だって、これは「ハンナの庭に設えられたマキシム風の飾り付け」ではなく、もうマキシムそのものだもの。これはこれで素晴らしいけれど、こちら側の想像力をまるで掻き立てない。昨今METからオペラに惹かれ、そこからさまざまな劇場が手掛けるさまざまな作品を目の当たりにした結果として感じることは、彼らの提示する演出はどれも完成すぎていて、まるで想像力を働かせるに値しない。私のような素人には好都合な道標としても、何年も連綿とオペラと接してきた手練れを相手にしては澪標の域をあまりにも出過ぎている

 

例えば、『ドラゴンクエストⅤ』のアークデーモンがDQⅩでは然程でもなく見えたように、「あたら技術の進歩やそこに注ぎ込める財力に物を言わせた結果としての失敗」はありふれている。その前提があってなおMETのスゴいところは、この想像を上回る人材を連れて来られることだ

 

この純白と生牡蠣色それぞれの特性を生かしたローブの素晴らしいこと。まるで大人の女性として洗練されていながら少女らしい愛らしさを失わないグラヴァリ夫人の人生それ自体を余すところなく表現して止まないかのようだ

 

先に貼付した動画の中で「デコルテを強調したセクシーな仕上がり」とコスチューム担当自ら語っていたにも関わらずに、決して下心に阿ることのない着こなしになっているのはルネ・フレミングが生来持つ清廉な美しさに由来しているのかも知れない。あるいは、現在の地位に至るまでの研鑽または長年にわたって歌姫として君臨し続ける努力が産んだ副産物かも

 

彼女の曲線美はまさに国宝級だ、合衆国が国家の威信を賭けて誇るべき数多くの要素の最上級に輝いていると言ってもいいよ。その魅力を最大限に引き立てるギャザーと、それらが放つ光沢を完全に従属させている。この動画だけで記事を書けばよかった、まだまだ言い足りないことが山ほどある。これからもずっと見ていたいよ