「いまひとたひの みゆきまたなむ」、「いまひとたひの あふこともかな」。

 

 私が小学生の頃、冬休みと夏休みのほぼ半分は父の実家で過ごした。祖母(父の母)がゲーム好きで、と言っても、今のゲームとはほど遠いトランプやカルタ(百人一首)の遊びで、孫を集めて、5、6人、みんな真剣に興じた。時には孫の親たちも交じって、徹夜で遊ぶこともあった。そして、カルタはみんなの共通の好きなゲームだった。低学年の私は特に好きな2枚の取り札を自分の手元に置いていた。人に取られないためである。初めの頃は上の句と下の句が繋がらず、手元においても、年上の子に取られて、悔しい思いをした。高学年になるにつれて、手元の2枚は確実に取れるようになった。その2枚のうちの一つの取り札は「またふみもみす あまのはしたて」で、「天橋立」は何回か親に連れて行ってもらったことのある、地元に近い、親しみのある地名だった。もう一枚も和歌に出てくる地名に親しみがあった。よくお手付きをしたのが、冒頭の2枚の取り札だった。「いまひとたひの」で始まる取り札は100枚の内この2枚だけだった。中学生になってからだろうか、読み札(絵札)を読むようになって、作者に興味を持つようになった。そして、「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」の作者、和泉式部と、「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」の作者、小式部内侍が母娘であることを知った。高校生になって、「古文」を習うようになって、歌の意味が少し分かるようになって、百首すべてを作者名とともにほぼ憶えるようになったが、カルタ取りはほとんどしなくなった。百首すべてを憶えたのは、「古文」の授業での宿題だったかもしれない。歌人、和泉式部のことを「恋多き女性」、「浮かれ女」など、情報として時々耳にするようになったのは大人になってから。しかし、取り立てて興味を持つことはなかった。

 今年のNHKの大河ドラマ「光る君へ」は藤原道長と紫式部を主人公としている。今から60年以上前であるが、「古文」の授業で、「源氏物語」の「桐壺」、「雨夜の品定め」や「栄花物語」の藤原伊周と隆家の兄弟のエピソードを習ったことがあり、また、「日本史」で藤原実資の「小右記」の名前などを聞いたことがあるので、興味を持って、毎週欠かさずに、楽しみにして観ている。この時代には日記などの記録が多く残っているので、それらに基づいた上で、脚本家の大石静さん自身の解釈や膨らませがあって、よくできたストーリーになっていると感心して見ている。そうなると気になってくるのが、ほぼ同時代を生きた、もう一人の「式部」、和泉式部のことである。「紫式部日記」に書かれた、清少納言や和泉式部に対する評価も面白いと思ったが、私には現代のある女流作家の書かれた小説が興味深かった。平安時代については、男女の関係と結婚の形態や怨霊、呪詛、浄土信仰、出家などの平安貴族の精神的内面がもう一つよく理解できなくて、少し史書(例えば、「日本の歴史6 道長と宮廷社会」大津透氏著、集英社、2001)を読んだが、数ページあるいは1、2行で無味乾燥に書かれていることより、小説にして、作者が思いを込めて書かれていることの方が私には伝わるものがある気がしている。私の読んだのは諸田玲子さん著「今ひとたびの、和泉式部」(集英社、2017)。この小説の中で、カルタで馴染のある赤染衛門、相模、伊勢、儀同三司の母(高階貴子)などの名前を目にし、改めて、宮廷サロンでの共通言語としての和歌の重要性を思った。歌人の位置づけを知りたいと思うとともに、和泉式部歌集を読んでみたいと思っている。

写真1.諸田さんの本を6月に読んだせいでもないが、和泉式部には紫陽花が似合うような気がしている。我が家で咲いた紫陽花の一つ。名称不詳。    撮影  20240608

写真2.紫陽花‘アラカルト’      撮影  20240624