一昨年、JRSプラントバンクから購入した八重山セイシカに一輪だけ花が咲いた。まだ、樹高40cmほどの苗だったので、蕾が乗るのは期待していなかった。セイシカの蕾は比較的小さく、蕾にも気が付かなくて、ある朝、白い花を見つけて驚いた。

 一輪の花と言うと、千利休の朝顔を思い出す。利休宅の庭で朝顔が見事に咲いたとのうわさを聞いた秀吉が利休宅を訪問すると、その前に利休は庭の朝顔の花をすべて切り落としており、がっかりした秀吉が茶室に招かれると、竹筒に活けられた一輪の朝顔を見つけるという話だ。私が聞いたか、読んだ話では、秀吉は利休をほめたということだが、この話を聞いたとき、あざといことをする人だと利休を好きになれなかった。利休の悲劇に至る欠片が見える気がした。

 ところで、私のセイシカである。セイシカの花は次の日から少しずつ色がつき、3日後には薄ピンク色になった。わびやさびはもちろん感じなかったが、緑の葉の中の一輪が可憐で、他のシャクナゲより注意深く観察した3日間だったような気がする。利休の美学を理解したとは思わないが、一輪を丁寧に視るとはこんなことかなとも思った。これまで、私は開花した花一輪一輪を、短い命として見つめることが少なかった。

 前にも(2022年6月12日)書いたが、よく「聖紫花」と書かれるセイシカを、誰かが「西施花」と当て字されているのを一度だけ見たことがある。あらためて私も「西施花」がふさわしいとしみじみ思った。西施は中国、春秋時代の越の美女、彼女のことを詳しくは知らないが、私には高校の漢文の授業で聞いたエピソードだけの印象がある。

 

写真1.八重山セイシカ       (撮影 20240424)

写真2.ウエキセイシカ       (撮影 20240507)