「今冬のササユリの植え替え」の記事を書こうと思っていたが、前の記事(1月11日)に対していただいたT.Oさんのコメントに触発されて、表題の記事を先に投稿することにした。

 

 25年ほど前のことである。私の友人宅にフランスからの女性(女子大生?)がしばらくホームステイされていたことがあった。その頃、私は月一回くらいの頻度で家族とカラオケに行っていた。友人夫妻はクラシック音楽には堪能だったが、カラオケには行ったことがないようだった。夫妻に頼まれて、フランスの女性を私の家族が行くときに、カラオケボックスにお連れした。彼女は日本文化に興味があるらしく、日本コミックにも詳しいようだった。また、日本語の日常会話にもそんなに不便を感じていない様子だった。何曲か彼女が歌った中の一つが高橋真梨子さんの「水の吐息」(来生えつこ作詞、来生たかお作曲、1992年)だった。高橋真梨子さんは、ペドロ&カプリシャスの紅一点のボーカルを担当されている頃から私の好きな歌手のひとりで、「別れの朝」(なかにし礼作詞、ウド・ユルゲンス作曲、1972年)、「五番街のマリー」(阿久悠作詞、都倉俊一作曲、1973年)は私のカラオケでのレパートリーに入れていたほどだったが、この曲「水の吐息」はまだ聞いたことがなかった。フランス人女性の澄んだ声のせいもあり、たちまち、私はこの曲に魅了された。その後高橋真梨子さんご本人の歌を聴いて、その歌唱力のすごさと相まって、ますますこの曲に惹かれるようになった。何より来生えつこさんの詩の描写とセンスが私には新鮮で、しかも、すんなりと心に入ってきた。「突然冷たく降る雨」、「季節ごとに色が変わる海」、「いつも違う漂い見せる」、「そっと吐息 波のように揺れる」、「ふいの雨もやんだみたい」、変容し易い水の縁語を用いて、詩の中に描かれる、男女の機微というか、取り残され気味の女心(男心かもしれない)がすっと胸に落ちる。そして、来生たかお氏の印象的なメロディが詩にぴったりと寄り添って、一度聞くと忘れられない。

 その後カラオケでフランス人女性のお伴をしたことはなかったが、この曲を憶えたい気持ちが強くなった私はカラオケに行くたびに、必ずこの歌を少なくも2回は歌った。そんな特訓(?)の成果はあまりなかったが、今でも空で歌える数少ない曲の一つである。

 来生姉弟の曲に魅せられた私は「セーラー服と機関銃」(薬師丸ひろ子歌、1981年)や「シークレット・ロマンス」(大橋純子歌、1982年)なども聴くようになった。前者は来生たかお氏のセルフカバーとも言うべき「夢の途中」を聴くことが多い。

 

 ようやく琵琶湖湖西にも、春の気配が感じられるようになった。写真1はフクジュソウ、いつの間にか、庭で開花していた。白梅、紅梅(写真2)も蕾が色づき、開花間近。

 

写真1.庭植えのフクジュソウ        撮影20240212

写真2.開花の近い紅梅(道知辺)      撮影20240212