9月30日(土)、バリトン歌手ヴィタリ・ユシュマノフ(Vitaly Yushmanov)氏のリサイタルを聴くためにフィガロホール(大津市)に出掛けた。フィガロホールは比較的小さいホールだが、毎年多くのコンサートが開かれており、大津では著名な、貴重なホールである。ヴィタリさんが大津で歌うのはびわ湖ホールでのオペラの出演やリサイタルを含めて5回目だそうで、氏の大ファンの妻のお伴で私はすべて聞かせていただいている。フィガロホールは7年前に続き、2回目で前回は定員一杯に近い100名ほどの入場者があったように思う。今回も8~9割の来場だっただろう。ピアノ伴奏は前回と同じく、山田剛史氏である。

 今回のタイトルは「日本の唄を歌う」で、すべて日本歌曲24曲のプログラムである。7年前は日本歌曲が2、3割ほどで、オペラのアリアやトスティなどの歌曲、ロシアの歌曲などを含むプログラムだったように記憶している。そのとき、特にオペラのアリアでは豊かな声量に驚かされた。知人は「プログラムはとても良かったが、マイクのアンプの調整が上手くいってなかったようだね。」と感想を聞かせてくれた。もちろんマイクは使われていない。彼の声量を楽しむには空間が狭すぎたようで、大ホールで聴いてみたいというのが7年前の強い印象だった。

 今回、最初の曲は「鉾をおさめて」。彼の豊かでダイナミックな声量を楽しむ。

はっとしたのは次の曲、「荒城の月」(土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)。私が小学5年生か6年生の時、音楽の教科書にこの曲が入っていた。出だしの「春高楼の花の宴・・・・」以下、詩の意味をまったく理解せずに、単純にずんべらぼんと流すように歌った。大人になっても、もちろん、詩の意味の理解は進んだが、同じようにこの曲をずんべらぼんと歌っている。プロの歌手がこの歌を歌われるのを聴く機会は少ないが、鈍感な私がはっとすることはなかった。

 ヴィタリさんの「荒城の月」を聞いて、オヤッと思った。一番の出だし「春高楼の・・・」、二番「秋陣営の・・・」、三番「今荒城の・・・」の「春」の後、「秋」の後、「今」の後に、さりげなく、しかし、明確に、小さく読点を入れて、氏が歌われているのに気付いた。今さら私が主観をまじえて説明するまでもないが、一番は国が盛んな頃、城主が高楼に登って、家来や民とともに桜を楽しむ酒宴の景色、二番は何代か城主も代わって(多分)、敵国との戦いに負け、落城した後の景色、三番は現在、詩人が荒れ果てた城に立って、一、二番の景色を偲びつつ、夜半の月を眺めて、感慨にふける情景が私の目に浮かぶ。私は、日本歌曲はメロディが単調だから、詩のウェイトが大きいとの偏見を持っている。だから、この小さな「読点」は重要だと思う。プロ歌手なら詩を大切にするのは当然なことで、氏が以前からそのように歌っていて、鈍感な私が今回初めて気付いたのかもしれない。また、日本人歌手は当たり前のこととしてそのように歌っているのだろう。しかし、異国の人であるヴィタリさんがそこまで心を配って、詩を深く理解しようとして、歌ってくれていることに気付いて、私は感動をした。

 「赤とんぼ」やそのほかの歌曲でも、似たような配慮に気付かされた。そして、終曲の「津軽のふるさと」では、思わず知らず、瞼をぬぐった。

 アンコールは「笑いカワセミに・・・」、トスティの歌曲(曲名は聞き洩らした)、「愛燦燦」とサービス十分の3曲。プログラム中にも、童謡が含まれていたが、豊かな表現力をお持ちである。得意のトスティでは、ホームに帰られたような印象を受けた。

 私の偏見であろうが、特に、アングロサクソン系の歌手の歌う日本の歌を聞くと、発音にストレスを感じて、それだけで聴く気をなくす。ロシア人のヴィタリさんや昨年に(20220918)このブログで紹介したウクライナのナターシャ(本名ナターリヤ)さんは日本語の発声が本当に自然で驚いている。どちらも、もっと多くの日本人に聴いていただきたい歌手である。

 

 写真1は夏の名残りのサルビア。花が終わりそうな穂を小まめに摘んで、いつまでも花を楽しんでいる。写真2も夏の名残りの一葉。すっかり秋めいてきて、シャクナゲ用のグリーンカーテンやトンネルを撤去する日が近づいている。実の無いゴーヤの蔓はすでに取り除いた。実の着いた蔓を残すのみ。琉球朝顔は盛んに花を着けるので、除去するのが忍びない。

写真1.夏の名残りのサルビアとメランポジウム   (撮影20231007)

写真2.名残り惜しい琉球朝顔           (撮影20231005)