結局、8月は私のブログに一つも投稿できなかった。

 手帳の8月のスケジュール表を見ると、病院とクリニックの検査や受診予約が増え、うんざりするほどだった。その上、妻が体調を崩し、その付き添いなどで、医院、病院との付き合いが益々多くなってしまった。

 全く投稿意欲の湧かない一月半だった。読書意欲も減退し、このままではいけないと思ったのが、9月半ば。

 

 9月12日は、妻の希望でナターシャ・グジー(Nataliya Gudziy)さんのコンサートに出掛けた。琵琶湖大橋を渡り、湖岸道路を北行し、1時間20分ほどのドライブ。会場は滋賀大学彦根キャンパス内の講堂。開場まで時間があったので、お堀端の食堂で伊吹蕎麦と焼き鯖寿司の定食に舌鼓。開場時刻に合わせて、会場に向かったが、会場内はすでに多くの聴衆で溢れていた。聞けば、9月初めにチケットは完売だったそうだ。ナターシャさんの語りと歌の90分のコンサートが始まった。彼女の言を借りれば、「生まれは葛飾柴又ではなくて、・・・・ウクライナ、プリピャチ。」6歳の時にチェルノブイリ原発の事故で、原発から3.5㎞の故郷で被曝されたとのこと。本名はナターリヤでナターシャは愛称とのこと、「なっちゃん」は日本での愛称らしい。日本にはすでに20年(?)以上在留されていて、少しユーモアを交えながら落ち着いた口調で話される日本語は自然で美しい。コンサートの企画は、ウクライナ市民、難民の援助を目的としたもので、47都道府県で行われるとのこと。

 彼女は民族楽器、バンドゥーラの奏者でもある。バンドゥーラは少し琵琶に似た胴に、63本の弦を張ったやや大型の楽器で、その音色は金属音のするギターあるいはチェンバロに似ていた。その哀愁のある響きに彼女の澄んだソプラノの声が乗ると、どの曲も私の心に浸み込んでくるようだった。彼女の歌を聴きながら、声質が全く違うのに、何故か、私の好きなポルトガルの歌手、クリスチーナ・ブランコを思い出した。歌は日本の歌もあれば、ウクライナの歌も。彼女自身が作られた歌も含めて9曲。ウクライナの歌には日本語の詩も添えられた。外国の方が日本の歌を歌うと発音が外国語になまって、それが気になって、ストレスを感じることが多いが、彼女には全くそれが感じられず、歌に没入できた。特に私が感動したのは「防人の詩」。この人は詩の意味をよく理解されていると思った。ずいぶん以前に、作詞、作曲のさだまさし氏自身が歌うのを聞いたこと(多分、ラジオで)があるが、その時より、しみじみと聴き入り、眼に滲んだ。オリジナル以上にカバー曲に感動するのは珍しいが、多分にチャリティーの趣旨が私の先入観になったためだろう。 三曲目に歌われた「旅歌人(コブザーリ)」もシンプルなメロディーながら印象的な曲だった。バンドゥーラより小さくて持ち運びし易いコブザという楽器を手にする吟遊歌人はコブザーリと呼ばれ、盲目の人も多いと聞いて、越後瞽女を思い出した。彼女自身が現代の旅歌人たらむとする意志だろうか。アンコールに続き、別れの歌として「ふるさと」を聴いたとき、私も小さく口ずさんでいた。

 記念に彼女のCDを一枚買った。来日して5年ごとに「Nataliya」と題するアルバムが出されていて、私の買ったのはその1。コンサート終了後、彼女のサインをいただけるとのことだったが、今回は体調不十分の妻の疲労を考慮して、そそくさと帰途についた。

写真1.彦根城は会場の近く。   (撮影 20220912)

写真2.滋賀大学講堂(会場)   (撮影 20220912)

写真3.会場入り口     (撮影 20220912)