20年ほど前だったか、福岡県が国際協力事業を始めたいということで、数人の調査団のメンバーとして、中国3か所、アセアン3か国(ベトナム、マレーシア、タイ)を2回に分けて出張したことがあります。研修プロジェクトを立ち上げるためのアドバイザーみたいな仕事だったのかなあ。私と会ったこともない外部の団体の代表者たちと大学の先生が1・2名。議員はもちろんいません。出張費は全然高くなかったような気がしますし、向こう主催の懇親会があったかなかったか記憶にありませんが、ほとんど仕事が終われば自由時間で、たとえば、上海の町をぶらついていたら、いかにも田舎から出てきたばかりの中国人から道を聞かれたことがあります。中国語はニイハオしか言えないし、中国に行ったのは初めてだったのだから、中国の都会人に見えたんだというのが今に残る自慢です。
ベトナムでは、夕方サンダル履きで街をぶらついていたら、メンバーの一人だった産廃協会の会長に見つかり大笑いされて、なんて自由な人なんだと、仕事では関わったことがないのに仲良しになりました。
報告書は私が書いて、委員会で2・3回議論しました。30ページほどの報告書をただで書くわけもないから、多少の委託費をもらっていたのかなあ。
結果的に、すこぶるまじめな(仕事だけは)出張だったし、県も参加者もすこぶるまじめでした。この研修会は、その後10数年続いたので、いい報告書だったのだと思います。思い出に残る仕事です。
昨今の騒ぎを思いながら、この仕事を思い出しました。
いつから、今のような問題が生じたのかなあ。環境関係という、役所ではマイナーな部署だから、雰囲気に気が付かなかったのかなあ。それとも、革新県政からさほど遠くない時期だったからそうだったのかなあ。
昨日の古平海岸。地獄の間から出てきた太陽のよう。
渡辺嘉之氏提供(古平町在住)

